琉球王国の歴史 その16
沖縄学の父といわれる伊波普猷は、
「汝の立つところを深く掘れ、そこには泉あり」という。
ドイツのニーチェの言葉を引用して、沖縄の歴史や文化を学ぶことの大切さを説いた。
琉球・沖縄史を学ぶ目的は、たんに先祖のあるんできた足跡をしることではない。
【琉球史は日本史の一部の研究】である。
先人の経験を学ぶことともに、日本、アジア、そして世界の歴史をみる目を養ってほしい。 >>274
縄文人が海流に逆らって手漕ぎで沖縄につくことは不可能、本土人は縄文人に憧れを持ち過
ちすぎ、沖縄の先着民は南方系で後大陸や東南アジア系が混じったのが沖縄人
東アジアで本土人に近い容貌は半島系ー北中国人ー中国人ー台湾人ーー沖縄人の順
集団で見れば明らか 沖縄人とあんまり似てない半島系の人達も本土人より遥かに多く沖縄に住み着き沖縄人の
先祖になった中山で高麗末期の高麗人達が大量の高麗瓦を製造して中山浦添城だけじゃなく
初期の首里城も高麗瓦を使ってた、漂流した朝鮮人が住みついたりいろいろ
戦後は本土に帰るのを避けて沖縄人になった朝鮮人も多かった、フィリピン人台湾人も多かっ
たが本土人はゼロ