>>133
琉球王国においては薩摩侵攻後に人頭税が導入されたが、先島島民を苦しめたのは地元の士族役人たちの中間搾取が原因というオチw

1879年の琉球処分(明治12年)による王国滅亡後に「旧慣温存政策」をとったのは明治政府の方針で旧琉球士族層が人頭税の存続を求めたことはない
人頭税なんて結局のところ、欧米諸国でもアメリカ、カナダでも採用された歴史があるし
イギリスは1990年にもサッチャー政権が人頭税を導入した

大和倭国では室町時代〜幕末、明治初期に至る400年余りの間に圧政による農民一揆や打ちこわしが各地で頻繁に発生した。

琉球王国の長い歴史の中では暴力的な農民一揆や打ちこわしが発生してない
実際には王国時代の宮古島では毛遊びの「クイチャー」が継承され酒宴の席では「オトーリ」の風習が残るほど余裕があった。

逆に明治時代の琉球処分(1879年3月)と沖縄県政への反乱として発生したのが宮古島の「サンシー事件(1879年7月)」である