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■人頭税廃止運動
 旧慣温存策によって残された人頭税は、依然として宮古の人々を貧窮させて
いました。しかし、沖縄全県的に広がっていた民衆運動は、ここにも飛び火し、
人頭税廃止運動へと展開していきます。
 人頭税廃止運動は、農民の重苦にあえぐ姿をみかねた糖業技師・城間正安と
実業家・中村十作の二人の努力なしには成立しませんでした。
 二人を運動の筆頭とした宮古の農民たちは、着任したばかりの奈良原繁知事
に対し、地方役人の数を減らすことや人頭税廃止などを請願しました。しかし、
士族層の強力な抵抗でこの請願は保留になり、士族と農民の対立が激化しました。
 宮古の農民たちは、城間と中村の指導のもとでなおも請願を繰り返しましたが、
受け入れられるようすがないため、上京して帝国議会に直訴する計画を立てました。
中村らは、上京の途上に士族や士族出身警察官の妨害に合いながらも、農民代表二人
をひきいて内務大臣に建議書を手渡し、宮古の内情を直訴することに成功しました。
 こうした宮古農民の努力が実を結び、1903(明治36)年ようやく人頭税は廃止
されたのです。