>>38
女真の弁髪の野蛮人には三球叩頭してはゴキブリみたいに這いつくばっていたくせに
弱い立場の先島島民を人頭税で残虐に搾取し続けた人間のクズどもは、自分達の残虐
行為の正当化に必死だな、人間のクズめ(ペッ


■人頭税の時代を生きた宮古島の人々
http://miyakojima-kids.net/jintouzei.html

・命がけの抗議をした先島の農民たち
 すざまじい税金の取り立てに我慢が出来ない農民たちは、石垣島や、多良間島、
宮古島で抗議の集会を行いました。
 しかし、抗議をしても地元の役人や琉球王朝からの役人はまったく聞き入れない
どころか、牢屋に入れたり激しい拷問をしました。 
 そこで直接那覇の王朝に訴えようという試みも各地からなされましたが、失敗し
て投獄されたり、仮に那覇に到着できても処刑されたりしました。
 このような王朝に対する抗議の時も、地元の身分の高い人々や役人は、自分たち
が利益を得ている人頭税を止めさせないために抗議集会や那覇行きを力ずくで妨害
しました。

・人頭税はいつ、どのようにして廃止されましたか?
 それまでの266年の間も、先島の人々は色々な形で抗議のための集会や琉球王府
への直接抗議を行うために命がけの行動をしていました。
 それらの抗議運動も、1890年代にやっと時代的背景の変化や人材、政治的な条件
がそろい、一気に廃止を実現させることになります。
 1893年、真珠養殖で宮古島をよく訪れていた中村十作という新潟出身の実業家や、沖縄から製糖技術の指導のために宮古島に来ていた城間正安などの協力を得る
ことで、宮古島や沖縄本島で多くの妨害を受けながらも宮古島の西里蒲(ニシザト
・カマ 38歳)と平良真牛(タイラ・モーシ 35歳)の2人の青年は、東京で国会
請願書 「沖縄県宮古島々費軽減および島政改革請願書」 を届けることができ、
ついに10年後の1903年帝国議会は人頭税廃止を決めました。