>>41
琉球処分により、四民平等の風が日本から沖縄に吹いていたからな。
日本軍進駐の際に、数千の士族がいながら、僅か200の日本軍(徴兵の農民軍)に
土下座しているだけの琉球士族の情けない姿が一層革命気分を盛り上げた。

沖縄でも農民町人による四民平等運動が各地で行われ、
その代表格が、先島の人頭税廃止運動と名子(沖縄の農奴)解放運動だった。
しかし既得権保持に燃える琉球士族は、人頭税廃止運動を許せず
那覇港から中村十作一行を本土に行かせないように妨害工作を行い、
中村十作一行を支援する農民町人層と港でにらみ合いになり、一触即発となった。

◆日本本土行きの船は那覇港から出ていたから、
那覇港には中村十作らの一行を船に乗せまいと琉球士族が集合して
すさまじい妨害をした。本土から来ている警察官と琉球の旧習の解放運動を
行っている農民町人階級の人々は中村十作一行に味方し、
那覇港は士族と農民が一触即発でにらみ合いの状態になり、
その中を中村十作一行は本土に向けて出航した。