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先島島民を苛斂誅求に搾取し続けた鬼畜・琉球王国

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0001名無しさん
垢版 |
2019/05/27(月) 14:42:00.99ID:jdu8MUyt
先島島民を苛斂誅求に搾取し続けた鬼畜・琉球王国の実態がこれ。この請願提出すら
琉球士族によって邪魔され続けた。先島島民を牛馬のように奴隷化していた
鬼畜の琉球王国が、明治政府の琉球処分によって地上から消えて本当に良かった。


■沖縄県宮古島 島費軽減及び島政改革請願書■        (その1)

   請 願

 沖縄県宮古島の平民西里蒲他一名は、憲法の条項に従ってここに星亨衆議院議長に
請願致します。私たちは沖縄県宮古島の住民で、今日まで人頭税を支払ってきました。
人頭税は支払い分を現物で納め、平均一人当たりの納税額は年額2円以上になります。
内地と違い、宮古島での生活は貧しくとても大きな負担となっています。
 更に私たちの生活を困難にしているのが、男女ともに一人につき粟何俵を納めるべし
という決まりです。 これは各部落によって事情は違いますが少なくとも一家で5〜6俵
(300 〜 360kg)の納付が義務付けられ、家族の多い家では16〜17俵(960〜1020kg)
を納めることになっています。 しかし納付義務量を納めることが出来ない家は、粟の
代わりに馬を売ったり、豚を売ったりして不足分の埋め合わせをしています。
 また番所からは 「この家では、金額にして幾らいくらの値の麻糸を納付しなさい」
とか「お前の家からは誰々が番所に通い織り機を使って、紺細上布や白上布、白木綿布
を織るように」との命令を受けます。 麻糸の納付を命じられた家では原料を那覇の商人
から購入しなければならず、原料の値上がりで納税負担がとても大きくなっています。
 宮古島から沖縄県庁に納めるべき毎年の納税額は、定額で粟の数量にして 5,408石
5斗9升6合9勺8寸(約812トン)となっており、もともと収穫量が十分でなく、そのすべ
てを粟で納付するのは難しいために不足分を上布をはじめ他の布類で納めています。 
今年8月の宮古島の相場で計算すると、粟の総量は30,071円79銭9厘3毛(現在の金額で
およそ1億1,430万円)になり、粟と織物を合わせた納税額の合計は、37,167円81銭
3厘(現在の金額で約1億4,124万円)となります。
0005名無しさん
垢版 |
2019/05/28(火) 23:15:51.55ID:0Kx88Yb4
琉球王国時代、人頭税を厳しく取り立てさせていたのは、奄美をソテツ地獄に追い込んだ金の亡者の薩摩藩。
沖縄本島人も先島諸島(宮古・八重山)と同様の極貧状態だった。
1871年の全国の廃藩置県後も、琉球藩は鹿児島県の直轄とされ、人頭税は鹿児島県の収税の対象だった。
日本では1873年に沖縄以外の全国が地租改正されたが、1879年の沖縄県移行後も他府県出身の県知事のもとで
地租改正は実施されず、人頭税は日本政府の収税の対象だった。沖縄士族はこの当時、不服従運動で県庁に
就職せず、税を収奪する立場にない。
1892年からの薩摩出身の奈良原県知事の下でもむろん税改革はされず、人頭税は日本政府の収税の対象だった。
日本政府が沖縄県の地租改正を実施したのは、先島と沖縄の社会運動家により、内務大臣・井上馨に訴え出られ、
世論の後押しも受け第8回帝国議会において1903年(明治36年)廃止、日本本土と同様の地租に切り替えられた。
0006名無しさん
垢版 |
2019/05/28(火) 23:17:33.37ID:0Kx88Yb4
という事らしいよ。新潟県人がどれほど関係したか不明。
そもそも、宮古島への人頭税導入は1609年 島津の琉球出兵で琉球国が島津藩に支配されて以降、
当然のことながら人頭税を収税したのは薩摩で、植民地傀儡となった琉球王国はそれに従わされた。
明治12年(1879) 琉球処分A廃藩置県(琉球藩→沖縄県)となって以降は、その傀儡制度もなくなり、
日本政府が直接人頭税を収税し、県全体の収税の三分の一を国庫に入れ、他の予算に当てていた。
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