米軍は難民住民20万人以上を比較的安全な北部に運び収容したが、戸野喜屋村の
住民収容所は住民60人柵がなく米兵が食料配給の時に来るだけ、ある夜10人の日本兵
が襲撃住民35人を紐で後ろ数珠つなぎにして集めて手榴弾で虐殺、半死の住民は銃剣で
とどめ、米兵数十人が駆け付けた時は日本兵が逃げた後
生き残ったけが人は米軍キャンプで治療を受けた