日本は第二次世界大戦で敗れた後、1951年にサンフランシスコ講和条約を締結したが、そのサンフランシスコ講和条約の条文には「千島列島を放棄する」と書かれている。
当時の吉田茂首相は、サンフランシスコ講和条約の受諾演説で「国後と択捉は千島南部」と発言しているので、千島列島に含まれる国後と択捉はサンフランシスコ講和条約に調印した時点で日本は放棄したことになる。
それと外務省の西村条約局長もサンフランシスコ講和条約調印後、日本の国会で「択捉と国後は千島列島に含まれる」と発言している。
その千島列島はサンフランシスコ講和条約で日本は放棄しているので千島列島に含まれる択捉と国後は日本の領土ではないということになる。