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明治27年に日清戦争が勃発すると、沖縄大隊は台湾に出征して、戦後も台湾に
残って台湾第一連隊となり、首里城は無人の館になった。そして大正・昭和期に
なると日本の多くの城と同じように老朽化が急速に進んだ。

内地の城郭では地元有志が金を出しあって修復費用を出して懸命に修繕したが、
民度の低い沖縄では首里城修復に金を出す市民など皆無で、ただ放置され朽ちて
管理する首里市では「倒壊の危険があるので正殿を取り壊す」と発表した。

それを救ったのが東京帝国大学教授伊東忠太/鎌倉芳太郎らの奔走で、首里城は
国宝に指定されて1930年代に大掛かりな修築が行われた。いつも首里城を燃やし
たり壊すのは沖縄土人で、懸命に守ろうとするのは内地人だ。