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>戦中は日本軍に大量の沖縄人が虐殺された

一般島民を虐殺したのは、軍国主義に凝り固まった沖縄の卑劣な役人/教員ども。
つまり今の【オール沖縄】の鬼畜連中だ。軍人は懸命にそれを止めた側なのに、
卑劣なオール沖縄の戦争犯罪者どもが見え透いたウソついて、責任転嫁しているだけ

◆米軍の艦砲射撃が行われた昭和20年3月25日の宮城初枝さんの証言
 一九四五年三月二十五日。その夜、初枝さんに「住民は忠魂碑の前に集まれ」
と伝令の声が届いた。初枝さんはその伝令を含め、島の有力者四人と共に梅澤
隊長に面会した。意味もわからぬまま、四人に従っていったのだ。有力者の一人
が梅澤隊長に申し入れたことは、「最後の時がきた。若者たちは軍に協力させ、
老人と子供たちは軍の足手まといにならぬよう忠魂碑の前で玉砕させたい」と言う
ものだった。初枝さんは息も詰まらんばかりのショックを受けていた。梅澤隊長に
玉砕≠フ申し入れを厳しく断られた五人はそのまま引き返した。初枝さんを
除いて四人はその後自決した。

◆梅沢裕少佐の昭和20年3月25日の記録
梅澤さんはこの場面について大城将保さんへの手紙(一九八六年三月の沖縄
資料編集所紀要)の中で次のように記している。『二十五日夜十時頃、戦備に
忙殺されていた本部壕へ村の幹部が来訪してきた。助役宮城盛秀氏、収入役
宮平正次郎氏、校長玉城政助氏、吏員宮平恵達氏および女子青年団長宮平
(現宮城)初枝さんの五名。その用件は次の通りであった。一、いよいよ最後の
時が来た。お別れの挨拶を申し上げます。二、老幼婦女子はかねての決心の通
り、軍の足手まといにならぬよう、また食料を残すため自決します。三、つきまし
ては一思いに死ねるよう、村民一同忠魂碑前に集合するから中で爆薬を破裂
させて下さい。それが駄目なら手榴弾を下さい。役場に小銃が少しあるから
実弾を下さい。私は愕然とした。私は答えた。一、決して自決するでない。軍は
持久戦により持ちこたえる。村民も壕を掘り、食料を運んであるではないか。
生き延びて下さい。共にがんばりましょう。二、弾薬は渡せない。しかし、彼らは
三十分ほども動かず、懇願を続け、私はホトホト困った。折しも艦砲射撃が再開
されたので、彼らは急いで帰って行った。』