自決しろと言ったくせに自分は生き延びた日本兵
8月15日の東京新聞に、沖縄戦で米軍の捕虜となった元日本兵のインタビュー記事が載っていた。
群馬県伊勢崎市の栗原夏雄さん(九九)は日中戦争で、軍命に従い捕虜を拷問し、銃殺した。
沖縄戦では米軍の捕虜となったが、非人道的な扱いはされず、日本軍の残虐さを思い知った。命のともしびの弱まりを感じる今、若い世代に伝えたい。と言う
高島氏が語るように、中国に駐屯した部隊では、生きた捕虜を初年兵に刺殺させたり、首を斬ったりすることがまかり通っていた。
集落に討伐へ行けば、強盗、強姦、殺人は日常茶飯事だった。
今回の聞き取りを通じて証言を聞いたなかだけでも、中国から沖縄に転戦した兵士一四人のうち、自身が中国で捕虜を刺殺したと明言した証言者は六人。
さらに集落への討伐の際、逃げ遅れた住民を何らかの形で殺したと明かした人は三人いる。
加えて、実行はしていないが、戦友や先輩兵らによる斬首や刺突殺人を目撃した人がさらに六人いた。
言葉を濁した人もいる。
実際にはそのような体験があっても証言しなかった人もいるだろう。
これらの数字からは、日本兵の中国での戦闘以外における殺人経験の割合の圧倒的な高さが窺える。
また、自身の強姦・輪姦を証言した証言者も二人いる。別の一人は、日本軍の襲撃から逃げ遅れた母と息子に無理やり性行為をさせたと明かす。
「自分たちが当たり前のように中国でやってきたことだから、米軍の捕虜になっても当然同じ扱いを受けると思った」。
証言した元兵士は口々に言う。彼ら兵士の口から、その“誤信”が住民にも伝えられた。
こうして、自国民を捕虜にさせたくない軍上層部の目論見と、
中国人捕虜を虐殺してきた末端将兵の経験が入りまじって増幅しながら、「捕虜になっては殺される」「捕まる前に自決せよ」という考えが沖縄住民に深く浸透していった。
そして、捕虜になれない住民に、日本軍は手榴弾を手渡した。 >>107
沖縄の女性子供老人大量虐殺は本土からやってきた日本軍がやったこと、武器を持たない女性や子供が住民虐殺できない沖縄ヘイター
の捏造、アメリカ兵撮影動画 youtube ww2 okinawa civiliansに多数ぼろぼろ住民大行進、アメリカ軍は20万人の住民を疎開
保護した、鬼畜は日本軍だった、アメリカ公文書館に公開されてる 最初に疎開しないで助けてくれって方がむしがいいんだよ
無理言われて邪魔されて日本兵が可哀想
硫黄島ではうまくいったのに 現状を把握してもよく分かることは国防のためなら米国に媚びて沖縄を犠牲にしても良いという
日本政府の思考は戦後から一貫して変わらないということだけである。
反論するなら明確にしてくれや 沖縄が攻められるのは日本せいじゃないからな
地政学的なもの少しは勉強したら?なんでそんな事も分からないの?
言うんなら中国に文句言えよ
おまえら頭おかしいから相手にされないんだぞ? 地政学的思考なんてそりゃ戦後だって変わらないだろ?
「国」がある限り存在するんじゃないの?
お前ら馬鹿すぎるだろ?
今更国境を変更しようとしてるのは日本じゃない中国だ
中国とロシアはいまだに19世紀と同じ事やってる >>110
頭おかしいぞ?お前
この手の輩は都合が悪い物は徹底的に見えないんだな 「悪いのは覇権主義のアメリカと日本だ」
いいえ違います
あなたは頭おかしいです病院行ってください 内容を書かないと見ないぞ?
危なくててクリック出来ない 自決前に司令官「最後まで戦え」 終結知らず隠れ続けた住民も
牛島満司令官らが6月23日に自ら命を絶ったことで、日本軍の組織的戦闘は終結しました。牛島司令官らの自決は22日という説もあります。
牛島司令官は自決を前に「最後まで戦え」という命令を出し、23日以降も日本兵の抵抗は続きました。戦闘終結を知らずに隠れ続けた住民もいました。
それでも自分だけ住民の衣服を剥ぎ取り住民に成り済ましコソコソ逃げ延びた日本軍人が多すぎる お前みたいな引きこもりデブが偉そうだな?
お前なんか戦場ではブヒブヒ言って逃げる事しかできないくせに >>117
>牛島司令官は自決を前に「最後まで戦え」という命令を出し
まともな国の軍司令官なら「組織的戦闘は終わっても、生き残った者は
ゲリラ戦を行い、最後の一兵まで戦い、敵に損害を与えよ」と言うのが
当たり前。戦闘力を残しながら降伏するのは戦争終結の時ぐらい。
朝鮮戦争の前半戦の天王山「大田の戦い」では、韓国の李承晩大統領は
いち早く大邸に逃げて、大邸の料亭で閣僚たちとドンチャン騒ぎしながら
残した将兵に「時間を稼げ」と命じた。当然、韓国軍将兵は全く戦意がなく
簡単に北鮮軍に撃破され、米陸軍24師団の孤軍奮闘となったが、猛烈な激戦
の中、24師団のディーン師団長も砲撃を避けるために山中を彷徨う間に
行方不明になり、なおも山中を彷徨ったが35日後に北鮮軍の捕虜になる。
兵力の半分を失い師団長も行方不明になった24師団だったが、ディーン師団長
は戦死したものとして、米軍総司令官のウォーカー中将は生き残った24師団の
将兵に降伏は許さず、困難な撤退を命じた。24師団はボロボロだったが降伏など
していない。さらに犠牲者を出しながらも懸命に撤退した。
まあ韓国の李承晩のような卑怯者のクズは問題外だが、米軍も日本軍も可能な限り
抵抗を続けるのは当たり前。