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>沖縄人が英語苦手でも戦時中体を張って大量の沖縄人の命を日本軍から救った

ウソはいかんよ、ウソは。戦争犯罪パヨクは常に見え透いたウソばかり。
見え透いたウソにウソを重ねて、ウソをつき続る事が当たり前になっている。

渡嘉敷島でも座間味島でも、オール沖縄のクズどもが『自決命令を出して下さい、
自決用の武器を下さい』と赤松隊長や梅澤隊長に懇願したが、日本軍人は
「ふざけるな、民間人のクセになぜ死に急ぐ!武器などやれん!」と一蹴し、
集団自決など辞めて生きるように説得した。しかし、渡嘉敷島では古波蔵惟好村長
の命令で、座間味島では宮城助役の命令で、悲惨な村民の集団自決が行われた。

■■梅澤裕さんはこの場面について大城将保さんへの手紙(一九八六年三月の
■沖縄資料編集所紀要)の中で次のように記している。「二十五日夜十時頃、
 戦備に忙殺されていた本部壕へ村の幹部が来訪してきた。助役宮城盛秀氏、
 収入役宮平正次郎氏、校長玉城政助氏、吏員宮平恵達氏および女子青年団長宮平
 (現宮城)初枝さんの五名。その用件は次の通りであった。一、いよいよ最後
 の時が来た。お別れの挨拶を申し上げます。二、老幼婦女子はかねての決心の
 通り、軍の足手まといにならぬよう、また食料を残すため自決します。
 三、つきましては一思いに死ねるよう、村民一同忠魂碑前に集合するから中で
 爆薬を破裂させて下さい。それが駄目なら手榴弾を下さい。役場に小銃が少し
 あるから実弾を下さい。私は愕然とした。私は答えた。一、決して自決するで
 ない。軍は持久戦により持ちこたえる。村民も壕を掘り、食料を運んであるで
 はないか。生き延びて下さい。共にがんばりましょう。二、弾薬は渡せない。
 しかし、彼らは三十分ほども動かず、懇願を続け、私はホトホト困った。折し
 も艦砲射撃が再開されたので、彼らは急いで帰って行った。」

>フィルムが存在アメリカ兵数人と話してる沖縄人

ナチスが絶好調の時は『ヒトラーと話すフランス人やチェコ人の子供達』とか
戦勝側がいくらでも好きな構図でフィルム撮影しまくった。それを信じるのが
『卑劣な事大主義』を頑なに信奉する日本共産党/オール沖縄らしいなww