あるんかーい

議会が力をつける、みたいな言い回しがあるやん
革命の文脈で使われると武力やら戦闘力の事だったりするけど
議論力?ディベート力?交渉術?話芸の神?たむらけんじ?みたいなもんも議論すればするほど高くなっていくんじゃなかろうか
話していくうちに自然と知識や視点が共有されたり、説明や説得のし方が上手くなったり、賛成か反対かゼロか100かじゃない第三の道を見つけたり
民意ってのは各々固定のものを持っていて一人一票投票すればそれが数として見える化する、みたいな空気になってるけど
人の考えなんて誰かの意見を聞くうちに段々変わってくもんじゃないか?バチバチの議論の前後で二回投票したら全く同じ結果になるだろうか
民主主義に議論が不可欠である事は間違いない、その議論の場が市民を育み真の民意を醸成させるのだとしたら、
誰と議論するでもなく一票投じて終わりの俺達がやってる民主主義は何だろう、民意とかいうやつが本当に反映されて今の日本になってるんだろうか保険証がマイナ保険証に変わるのだろうか
今の日本の間接民主主義のシステムは議論が省略されているとか集約されているとかなんぞではなく末端の個人にあっては完全に削除されている
民主主義の根幹である議論が無いのである、また当然、議論を通した成長も無い、毎度毎度投票に反映されるのはせいぜい人々の好き嫌い程度のものであろう、正しさを求めようなどという態度は毛頭無い誰がハゲやねん
議論をせず投票で出す結論、投票をせず議論で出す結論、どちらが健全だろう?間接民主主義において省略されるべきものは議論ではないはず
小規模でもいい、個人が集まりガチンコで真剣10代しゃべり場する事が必要だ、議論を重ねるうちに人々の社会参加意識、他者への責任感、知的水準、問題解決能力、ひいては国が少しずつ少しずつ成熟していくはずだ
時間はかかる、人の一生、一代二代、それでも足りないかもしれない、なんなら未来永劫理想の国家なんてもんは出来ないのかもしれない、それでも議論を諦めなければ俺達の子孫は俺達よりも賢くなってもう少しマシな国を生きる
よく哲学なんぞクソの役にも立たないと言うが、正しさを希求し考え続ける事自体が思考力を養うのだとしたら、永遠に答えの出ない問いは最高の修行相手だ不条理や不可能を目前にしたときにこそ思考や議論を止めるべきではないハゲるまで考えろ