事件のあらまし

被害者の持物(昆虫図鑑+セッタ等)から推察すると、その日、グループは生物探索をする事になった
開始点は自転車が見つかった場所 全員不要私物をそこに置いて探索開始
小水路沿いに生き物探し 結果、下田川に行き着き、そこでも生物やら魚探してた事が推察できる

川に到着すると、泳げる集団は階段降りた直後の水深有る場所に飛び込んだ
が、泳げない被害者は1人で上流の護岸ブロック経由で浅瀬に入る
護岸ブロックは川の1/4くらいまで出張ってるから、川中央はそれほど遠くない位置
階段直後に綺麗に図鑑とセッタを脱いだトコから、突き落とし・強要等で川に入ったものでは無く
自分の意思で浅瀬に入ったものと思われる
>泳げ無いから川入らん ←いや、泳げなくても膝下くらいの浅瀬なら当然入って歩く
そこで転倒等で泥だらけになり、泥を落とすためにその場で浮いてみる

浅瀬故、手足で突っ張りながら浮くことは可能
水に顔を浸けられないので、学校ではビート板を使って上向きに浮いてラッコ状態で練習してる
また学校で、ラッコ泳ぎは救難訓練で言われる浮いて待ての姿勢だといわれている
だからこの時も(手足を使わないと沈むが)学校で習ったラッコ泳ぎをしていた

ところが現場は流れのカーブ外側で浅瀬から急激に深くなる場所
浅瀬で遊んでたつもりが、ちょっと流されただけで深みに入りそこで溺れた
泳げる集団は離れた場所、こちらをチラ見した者もいるだろうが、顔まで水没した被害者が溺れてるという認知が薄い
水飲みなら助けを呼んでみるが、溺れて水を飲み顔を上向けてる状態なので
声は真上にしか上がらずしかも小さい、遠くにいる集団にはほとんど聞こえない

数分後、集団の一部が被害者がいなくった事に気づく
溺れをチラ見していた低学年が、もしかして、溺れてたんじゃね?と言ってみるが
見てない奴(たぶん高学年)に、「そんな事無いやろw」くらいな反応で返され、何も言えなくなる

一部の者は疑問をいだきつつも
まあそのうち出てくるんじゃね?あいつ家に帰ったかも?ちゃり忘れとるやん
と、チャリを自宅近くまで乗って帰る(以前から被害者父が怖いので自宅へは持っていかず)
>なぜ図鑑とセッタは放置?
セッタが無いと裸足で帰る事になる、図鑑はかさばらないしまだ被害者が生物探索してる可能性有るから放置

一部は溺れたかも?と疑問をいだきつつも
被害者父は隣の親子とモメてるんで、自宅には行けず、仕方なく自転車を生物探査起点である家近くの小道に放置
一部の者は溺れたかも?という疑念は残っており、不安で何度も現場を確認

集団にとって被害者父はいつも怖いまたは鬱陶しい存在だったので、被害者父が家に来た時も
集団は非協力的で知らんと言う
(強圧的な主人持つ嫁とかに有りがち 威圧的質問すると、責任逃れで 知らん・自分がやったんじゃ無い と言う)
が、一部の子は溺れたと疑念を持っていた事は確かだと思う