−『神社名鑑』−

阿沼美神社 旧県社
松山市北宮古町 予讃線 松山駅より一粁
祭神 大山積命 雷神 高靇神
例祭 一〇月六日〜七日
神紋 縮三
本殿 流造 六坪
境内 二三五〇坪 末社 五社
氏子 三千五百戸 崇敬者 一万七千五百人
神事と芸能 秋の大祭に神輿四角造り、八角造りの二台が出る
由緒 延喜式神名帳に温泉郷四座の内阿沼美神社名神大とある。往古勝沼の嶺に在て勝山三島大明神と称せしが、慶長七年加藤嘉明侯松山城を勝山に移すに当り現今の地に遷座す。地名を取りて味酒神社と改称し、元禄 一四年社殿を改造す。明治三年県社に列し旧称に復す。

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阿沼美神社 (松山市味酒町)

本来は松山城のある勝山(132m)に鎮座していた神社で、
「勝山三島大明神」とも呼ばれていた大社。
当時は末社が75社もあったという。

慶長7〜8年(1602〜3)、加藤嘉明による松山城築城のおり、城の西・味酒の地に遷座し、味酒大明神と改称したという。

延喜式では、もとは「阿沼美神社」と書かれていたらしいが、
写本によっては、「阿治美神社」と記載され、アジミの訓が付けられた。

このアジミが、味水と解釈され、味酒にある当社が論社となったと考えられる。
もしもそうであれば、味酒の地はこの神社が遷座以降の関係であるから、「阿治美神社/阿沼美神社」とはもともと関係がなかったと言える。