徳島と淡路島の歴史
庚午事変は、明治3年(1870年)5月13日(旧暦では庚午4月15日)、徳島藩の元藩士らが淡路島の洲本城下にいた同藩の家老稲田家の家臣団を襲撃した事件です1。稲田家は明治維新で朝廷や新政府に協力した功績があり、徳島藩から分藩独立することを目指していました。これに反発した徳島藩の元藩士たちは、稲田家の不忠と反逆を訴えて暴動を起こしました2。
戦闘は一方的なもので、稲田家側は一切抵抗せず、自決や殺害される者が多数出ました。稲田家側の被害は、自決2人、即死15人、重傷6人、軽傷14人、他に投獄監禁された者は300人余り、焼き払われた屋敷が25棟でした1。徳島藩側の首謀者らは政府から斬首(後に切腹)10人、終身流刑27人、禁固81人、謹慎多数などの処罰を受けました1。
この事件の影響で、徳島藩自体の取り潰しはなかったものの、洲本を含む津名郡(稲田氏知行地)は翌明治4年(1871年)5月に兵庫県に編入されることになりました1。稲田家側の生き残りは北海道静内や色丹島へ移住させられました1。この移住開拓の苦労や希望は、小説や映画などで描かれています2。

どう見ても徳島が悪者ですw