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村人たちは、作兵衛の百姓としての心構えに心を打たれ、作兵衛が残した麦種を一粒ずつ大切に蒔くことで次の年を乗り切ったという。また、この話を聞きつけた松山藩は、年貢の軽減、免除の措置を施した。

作兵衛の死から45年を経た安永6年(1777年)、松山藩8代藩主の松平定静は、作兵衛の功績を後世に伝えるために「義農」と称え、彼のために碑を建立した。明治14年(1881年)には義農神社が建立された。明治45年(1912年)には頌徳碑建立と義農精神発揚のため組織された「義農会」により、義農作兵衛頌徳碑が建立された。見返り石には、元内務大臣、平田東助の詩が刻まれている。