昭和10年、東京の女郎は、半数以上が東北出身者だった。
山形県 1026人(全国一位) 秋田県 891人(全国二位) 福島県 679人(全国三位) 宮城県 547人(全国六位)
青森県 501人(全国七位)
東北兵の父親が息子にあてた手紙には、 「お前は必ず死んで帰れ。生きて帰ったら承知しない。お前の死んだあと国から下がる金がほしいのだ」
東北は歴史的に貧しく、娘を納屋で育て、15歳で売るのが常識だった。
「秋田美人」 の由来は女郎から始まっている。 東北6県では一番美人だったからだ