「岐阜市」周辺が衰退した本当の理由 路面電車の廃止だけじゃなかった!
2023.11.5

JR岐阜駅「高架化」という転換点

さまざまな資料をもとに特定した岐阜市の衰退の転換点は、1997(平成9)年の

「JR岐阜駅の高架化」

である。

2年前の1995年、岐阜県は「アジアセントラル構想」を発表し、岐阜市の商圏を最大半径30kmと位置づけ、愛知県の一宮市、小牧市、名古屋市の一部を含め、潜在的な利用者は約340万人と評価した。

岐阜市は再開発計画で名古屋市との競合を意識していたが、市中心部と郊外を結ぶ交通網の重要性を見落としていた。その結果、岐阜市の衰退は加速した。2005年に閉店した新岐阜百貨店は、閉店の主な原因として「ブランドの名古屋止まり」という現象を挙げている。消費者が名駅に集まるなか、岐阜市はその流れを食い止めることができなかった。名駅に近いことを考えると、高級ブランドを扱う新しい百貨店や、日常的な買い物以外を扱う店を岐阜に置くのは難しいだろう。だとすれば、今後の岐阜市の方向性は、ベッドタウンとしての質を高めていくことだろう。

【画像】えっ…! これが60年前の「岐阜駅」です(計15枚)

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