新海池の東、緑区休日急病診療所あたりに緑プールという屋外プールが有ったのは地元民には有名な話。鳴海プールや大高プールも悪くないけど、緑プールはこじんまりとしていて鳴子学区の子供に人気だった。

ウオダイはまだUストアで、ドコモショップ鹿山店はウィンチェルというチェーン店のドーナツ屋、近くには不二家レストランとか松坂屋ストア鹿山店が有った。今のNTT西日本鳴子第二ビル辺りに老婆の小さな雑貨店が有って、第2早川商店と呼ばれていた。第2というからには第1早川商店(池上交差点の潰れたやわらかとんかつ 幸せやの場所)も有った。

もうひと昔前となると、池上台から東はろくに道も整備されていなくて、旭高根公園から万場山の一帯は養豚場や牛小屋などが有り、現在の平山精肉店の近くには屠畜場も有った。朝は家畜の断末魔の叫び声が鳴子団地まで轟いた。ここからグリーンプラザの南辺りまでヤギやニワトリが放牧されて、今では考えられないようなのどかな田舎だった。

篠の風や高根台、滝の水辺りでは昭和中期に変死、事故死、殺人や一家心中が何度か起きて、動物霊の祟りとか、集積されたゴミの中に因縁が有ったのではないか、などと言われた時も有ったが、都市伝説だろう。いや田舎伝説というべきか?

第四カンテから南に向かう道は旭高根公園へ抜ける一本しかなく、あとはカネミツから南へ抜ける道が有った。上旭から滝の水界隈はせいぜい民家は100m置きに1軒しかなく、万場山動物病院やV-drug、シャトレーゼが有るあたりは、かつて森と沼地と池が点在しており、池でザリガニが取っていて沼地に足を取られ溺れそうになった事がある。この辺りはダートで砂埃が舞って視界が悪くなり、小学生がトラックにはねられて亡くなる事故が相次いだ。

滝ノ水公園周辺は原っぱで、小さな山が点在した。宅地造成が盛んになったのは昭和50年を過ぎてようやくである。それ以前はごみ集積地が有って、滝ノ水南には焼却場も有り、うっすらと腐臭のする場所だった。しかし夏はスズメバチやカメムシが獲れるし、イタチ、ジャンピング婆、みちょぱ、ローリング爺、ゆきぽよ、ぬらりひょん、あいみょん(君はロックを聴かない)などは当たり前のように棲息していて、夏休みは子供達の格好の冒険の場だった。