>>98続き

「あなた方の技術に我々米国の近代的技術を つなぎ合わせよう とはしない方がいい。
あなた方にはまだ、その準備ができていない 。」
ペリーは中国側にそう進言した上で「 研究開発基盤と 製造業の基盤を きちんと
整えなければ、 近代的な軍事技術は育たない。 それには相当の歳月も必要だ。
そのための最初の一歩は 民間分野での商業技術の育成だ 」と言い残して、中国を後にした。

こうした経緯を経て、 米側は中国への軍事技術移転を断念した。 ペリーによれば、
この時、米国は中国に「 一切の軍事技術を渡していない 」 という。当時、中国は対ソ連を
想定した防衛システム技術 として、防空ミサイルの運用システムや防空用の戦闘機、
その戦闘機を守るレーダーシステムなどを 米側から導入したい、と 内々に伝えていたが、
これらについても 米側は 時期尚早との 立場を示し、 実現には至っていない。

1980年代レーガンは、 後にアジア担当の 国務次官補の職につくリチャード.・ソロモンを
自らの政敵カーターの腹心の一人だったペリーの下へと党派を超えて派遣している。
この時ソロモンは ペリーが残した訪中時の報告書について詳細に分析した上で、 ペリーに
対中軍事技術供与をめぐる問題について意見を聞いた。