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《続き》【 "俺の差別問題(スケープゴート被害)" の原因はこれだ! 】(3)
→【★ 戦後の『集団就職』の実態(地元の歴史)が非公開になっていること!(→当事者の怒りも!) 】

<出典> https://www.amaz■n.co.jp/集団就職《高度経済成長を支えた金の卵たち》-澤宮-優/dp/4863291515

「私は長野県の出身(18歳まで長野県に居住)ですが、下記のように『戦後、長野県から、大規模な集団就職が行われていたという事実(しかも女子が多い)』を、ごく最近まで(約40年間)全く知らないでいました!(←★)
 この国は、一体どうなっているんでしょうか!?(怒) 」

(A)
『戦後の集団就職列車の第1号は、《1951年(昭和26年)3月29日、長野発名古屋行きの就職専用列車》であり、「織女星号」と呼ばれた。
 これは、長野県職業安定課と長野鉄道局によって企画されたもので、主に中学卒の女子が、長野から名古屋(・三重・京都・大阪方面)まで乗車した。(←★)
 『合計948名(内訳:男子50名、女子898名)が乗車した』。(←★)

(B)
『1977年(昭和52年)、労働省は、集団就職の廃止を発表!(←★)
 (→国の取り組みとしての集団就職は終わった。) 』