鉄のカーテンが若干解かれ…
 昨今のロシアによるウクライナ侵攻では、ロシアは緒戦で制空権を確保できなかったと報じられています。侵攻を行ったことで平和を破壊したことはもちろん、その軍事上の作戦展開でも批判の的となっているロシアですが、かつて軍用機分野では傑作機を多数生み出していました。たとえば、旧ソ連時代のスホーイ設計局が開発した高性能の戦闘機、「フランカー」ことSu-27シリーズ。今ではこの名では知る人もほんのわずかになりましたが、実は今から四半世紀前、航空自衛隊がSu-27をほぼ1個飛行隊分、導入しようと考えたことがあったのです。

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ウクライナ空軍のSu-27戦闘機(画像:アメリカ州兵空軍)。

 Su-27は、1989年のパリ航空ショーの展示飛行で驚異的な機動力を見せつけ、各国の軍事関係者の度肝を抜きました。まるでコブラが鎌首をもたげるように機首を立てた機体が、反り返って元に戻るアクロバティックな飛行技「プガチョフ・コブラ」は伝説となっています。これはSu-27が空力も推力も余裕があり飛行特性が他機を寄せ付けないほど良いからこそ、できた技です。

 今でこそ、展示飛行は一瞬制止するなどショー的な要素が強いとされていますが、「プガチョフ・コブラ」が披露された当時、旧西側の空軍関係者はF-15を世界最強と信じていただけに、Su-27の飛行は、まさに毒蛇にかまれたようなショックを与えたようなものでした。

 そして、仮に航空自衛隊が導入した場合の配備先は、垂直尾翼にコブラを描く「アグレッサー」部隊。すなわち、「仮想敵」として自国の戦闘機と対空戦訓練をすることで、部隊の技術向上を図る飛行教導隊(現・飛行教導群)でした。

もし「日の丸Su-27」が実現していたら
 当時、旧ソ連はペレストロイカ(政治改革)真っ盛り。東西を仕切っていた“鉄のカーテン”は徐々に開かれており、商談として成立すれば、実はSu-27でさえも日本に輸出可能となったのです。検討は少なくとも空幕レベルでされており、スホーイも乗り気だったとのこと。実際、1997年に計3人の空自パイロットが派遣されて、Su-27に搭乗しています。

 導入機数は伝えられているところでは飛行教導隊分ですから、10機前後だったのでしょう。もし実現すれば、F-15を苦しめ、F-4は足元にも寄せ付けなかったかもしれませんし、逆に大柄な機体が容易に発見され、逆襲の憂き目にあったかもしれません。ただ、あくまでも理由は推測ですが、エンジンや機体の耐久性、補給がきちんと確保できるか、維持費はどうなるのか……など各所に課題があったようで、最終的には実現しませんでした。

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Su-30MKMの主翼下でグッズを売るマレーシア空軍のパイロットたち。2020年のシンガポール航空ショーで

 しかし、Su-30MKMなどSu-27シリーズの派生型は、中国、インドやマレーシアなどに導入され、秘密のベールに包まれた機体でなくなりました。海外の航空ショーでは、スホーイ機の下でパイロットがグッズを売る、日本の基地祭と同じ光景が見られます。

 ――あれから四半世紀。当時Su-27に乗った空自のパイロット3人は既に退官している年齢かもしれません。乗るならF-15かSu-27シリーズか。聞いてみたくもあります。
【了】

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