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2022/03/29(火) 17:24:19.50ID:Yn94iNCu命奪っても利潤求める資本
資本主義社会とは、その名の通り資本の論理で動いている社会だ。資本の論理とは、つまるところ無限の金もうけである。
資本主義における経済活動は、決して社会を豊かにする目的で行われているのではない。企業活動の第一の動機は営利すなわち利潤の追求である。ただ、買い手が必要としている商品でなければ買ってもらえないということに規定されて、有用なもの、生活に必要なものを商品として生産しているにすぎないのだ。
だから逆に言えば、金になりさえすれば何でも商品になる。軍事産業は人殺しの道具で、証券会社は金融商品で、製薬会社はコロナワクチンで莫大(ばくだい)な利潤を得ている。
他方、私たち労働者階級は、自らの人生を1時間単位や日、月単位で労働力商品として切り売りする以外に生きていけない。
「賃金労働者が自分自身の活動を通じて獲得するのは、自分のぎりぎりの生活を再生産するのにやっと足りるだけのものに過ぎない」(マルクス・エンゲルス『共産党宣言』)
だが労働者は、自分の労働力を再生産するのに必要なもの以上の価値を生産する。それが剰余価値=資本の利潤となる。この資本の価値増殖運動は資本の過剰による恐慌や失業を生み出す。
資本同士が互いに競い合って生産を拡大し続けると、それ以上生産しても利潤が増えず、ついには破綻し、商品はありあまりながら街には失業者があふれかえる。こんな社会現象は資本主義以前には存在しなかったし、想像すらできなかったことだ。
矛盾が戦争として爆発する段階に
資本主義は、19世紀後半から20世紀初頭にかけて質的な転換を迎えることになった。いわゆる自由主義段階から帝国主義段階への移行だ。
それは市場、領土、勢力圏、資源をめぐる列強同士の争闘戦(分割・再分割戦)をもたらし、第1次・第2次世界大戦という人類史上未曽有の大惨事に行き着くことになる。
帝国主義段階の特徴は、巨大企業による独占状態の形成である。自由競争の必然的な結果として、競争力の弱い企業は強い企業によって淘汰(とうた)された。少数の企業による生産の集積(規模の巨大化)と銀行の集積という流れは、その絡み合った形態である金融資本を生み出し、これが国家と一体化して社会を覆い尽くし支配するものとなった。
この過程は同時に基軸的産業が軽工業から重化学工業へ移行する時期であり、大企業と国家との一体化はますます強まった。
資本主義の矛盾は、19世紀には恐慌という形で爆発したのに対し、20世紀以降は帝国主義戦争という形で爆発した。戦争は資本主義という社会体制の必然となり、一握りの帝国主義的大国が世界を支配するようになったのである。
新自由主義の崩壊が戦争に