自己を肯定も否定もするな
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必要以上に自己肯定感が強い奴は嫌な奴だし
自己否定感が強けりゃ鬱になるだけだ 世の中すべてさじ加減だ
アクセルとブレーキの加減次第だ
陰と陽のバランスの置き所 山本太郎氏の当選は、「都民がバカだった」ってことに
なるのかな...
2013/08/02 ちょっと右よりですが マルコポーロ事件 ガンバレガンバレの
この一方向の奨励が当事者を攻めているにきづけ
雨の降る日は雨の中
風の吹く日は風の中
がんばれない時はそれでいい
雨にも負けず風にも負けずは誰しも成し遂げられない
弱い自分も弱い時もあって当たり前 それは単なるバランスの問題ではなく、
自己視点と他者視点で変えるべきものだ。
自己視点においては褒めるべきところは褒め、責めるべきところは責める、常に厳格な自己観察者であるべきだが、
他者視点においては徹底的な自己否定者で間違いはない。
他者というのはそれだけ厳しく他者を否定して否定し尽くしていると言っても過言ではない。
無論それは人によるし、評価されるのが男であるか女であるかでまるで違ってくるが、
大抵の男はそういう自己評価でまず間違いない。
それが勘違いをしてその結果酷い思いをさせられこれ以上心をズタズタにされるのを回避する術だ。 自己肯定は必須のものだ。そして他者の肯定も必須なのだ。
全てに対して「貴方は正しい」と肯定すべき。 他人の為に生きているんじゃないんだよ
もっともやっかいな人間は自分をより良く見せたい
他人の為に自分がカッコよく身の丈以上に振舞う
これがもっともやっかいで周りにも迷惑だ 自分をより良く見せたいために
不正の決算報告は東芝
自分をより良く見せたい為に
子にブランド校進学 自分のためにだけ生きるなんて、なんと虚しいことだろう?
こんなちっぽけなオレが生きることに、大した意味はないではないか。
他人のために生きよう。何千、何万という人のために生きよう。 歩道で最近の小学生や中学生と合うんだけどね。
小学生は登下校のとき年長者から「ほら、前から人が来てるでしょ!どきな!」とか言ってくれるんだけど。
これが中学生になると登下校のときでも、前が見えているはずなのに道いっぱいに広がって喋りながら、どかないのな。
思わずどうしていいかわからずこちらが止まっていたら、誰も避けず注意を発することもなく、四人で広がっていたのが「縮んで」こちらが通行妨害を受けて困っていたのに一顧だにすることなく、通り過ぎたよ。
これが今の子たちの偽らざる正体なんだなて思った。
普通の子なら、以前の世代より自己肯定感があるから、以前から問題にされていた「変にへりくだる」意識なく自分たちの行動や素振りに疑念を持たない。
学校で注意されない限り、道でも人の通行を阻害しないしないよう気を配るなんてことはしない。
だからこちらが困って道の端で止まっているときでも、容赦なく何人もがぶつかってくる。
これはもう交通事故だと思うんだが、かろうじて女の子とはぶつかってないから事案にならないだけで、女の子も道を譲らない。二人でも四人でももっとたくさんでもだ。
思うに、落語でも有名な「肩がぶつかった」として因縁をつけてくる人は、昔の自己肯定感が強い教育を受けた人だったんじゃないか?
日本では伝統的にそうでない人が多かったために悪人にされてきたが、これからはこういう人が増えて当たり前になっていくのだ、と考えたらちょっと憂鬱になる。
それくらい今の自己肯定感にあふれている子は厚かましく、迷惑な存在だ ブランド品を付けてる者がきらいなんだよ
自分に自信がないのか
自分をより良く見せたいのか
身の丈以上を見せて悦に浸るのか
滑稽なんだよ
オレカッコいいが 自己を肯定することは、成功する上で不可欠。
それを揶揄したり反対を奨めるのは、アレな。 大抵の人は、自己を肯定も否定もしてないけど、
承認欲求の強い人はそうじゃない。
特に、発達障害は地雷w ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています