ホモ・サピエンスは本当にアフリカで生まれたのか
私たちヒト(学名はホモ・サピエンス)はアフリカで生まれた、というのが現在の有力な説だ。このアフリカ起源説は多くの証拠によって支えられており、まず覆ることはないだろうと思われていた。しかし最近、この説に疑問を投げかけるような証拠がいくつか見つかってきたのである。

まず一つ目は、ヒトとネアンデルタール人が分岐した場所だ。

化石からDNAを抽出することは難しい。たとえば、ネアンデルタール人の化石の中に含まれているDNAのほとんどは、ネアンデルタール人のDNAではなく、他の生物のDNAが混入したものだ。ネアンデルタール人のDNAは、たとえあったとしても、ほんのわずかしかない。しかも、そのDNAはズタズタに切れているし、たいていは損傷しており、遺伝情報(つまり塩基配列)が変化していることさえある。

そのため、かつての古代DNAの研究には間違っているものがたくさんあり、古代DNAの研究者というだけで胡散臭い目で見られることさえあった。

しかし、古代DNAの研究の難しさがきちんと認識され、対応策が取られるようになってから、状況は変わってきた。さらに、次世代シークエンサという新しい技術の導入によって、安価に大量にDNAの塩基配列を読めるようになったことも、古代DNA研究の追い風になった。

そうして2010年以降、次世代シークエンサを使った古代DNAの研究結果が続々と報告され始める。そして、そのなかには、ネアンデルタール人の研究も含まれていた。その結果、ネアンデルタール人に至る系統と、私たちヒトに至る系統が分岐したのは、およそ64万年前であることが明らかになった。

しかし、年代は決まったものの、この分岐がどこで起きたのかがわからないのである。

共通祖先で見解が分かれる「分岐場所」
ネアンデルタール人とヒトの共通祖先はよくわからないが、一説ではホモ・ハイデルベルゲンシスとされている。この説が正しければ、分岐はホモ・ハイデルベルゲンシスが住んでいたところで起きたはずだ。しかし、ホモ・ハイデルベルゲンシスはアフリカにもユーラシアにも住んでいたので、どちらで分岐が起きたのかを決めることができない。

いっぽう、分岐が起きた後のことを考えても、やはり分岐の場所を決めることができない。共通祖先から分岐して、一方はヒトに至る系統に、もう一方はネアンデルタール人に至る系統になったわけだが、ヒトの最古の化石は約30万年前のアフリカ(モロッコ)のもので、ネアンデルタール人の最古の化石は約43万年前のユーラシア(スペイン)のものだからだ。

つまり、二つの可能性があるわけだ。分岐はアフリカで起きて、その後ネアンデルタール人がユーラシアに移住した可能性と、分岐はユーラシアで起きて、その後ヒトがアフリカに移住した可能性だ。現時点では、どちらが正しいか、わからないのである。

また、別の説では、ヒトとネアンデルタール人の共通祖先は、ホモ・アンテセソールであるという。ホモ・アンテセソールはユーラシア(スペイン)に住んでいたので、この説が正しければ、分岐はユーラシアで起きた可能性が高い。

つまり、ヒトはアフリカではなくユーラシアで生まれた可能性が高くなる。

なぜアフリカの外でヒトの古い化石が見つかるのか
ヒトのアフリカ起源説に疑問を投げかける2つ目の事実は、ヒトがアフリカから出た時期だ。

現在、ヒトは世界中に広く住んでいるが、そのDNAなどを分析することにより、現在のヒトの祖先は、約6万年前にアフリカを出て、世界中に広がったことがわかっている。それにもかかわらず、約6万年前より古いヒトの化石が、いくつもアフリカの外で見つかっているのである。