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秋田おばこ 秋田・大曲(1953年) 「秋田の顔」時を超えて<一枚のものがたり>木村伊兵衛 [きつねうどん★]
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0001きつねうどん ★
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2023/01/14(土) 20:54:11.59ID:5hYSbNwn
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秋田おばこ 秋田・大曲(1953年) ©木村尚子

 一九五二年十一月二日、秋田県大曲町立(現大仙市立)大曲小学校の裏の田んぼで、野良着姿の女性たちがカメラのレンズを向けられていた。第一回秋田県おばこコンクールの入賞者たちだ。ファインダーをのぞくカメラマンの中に買ったばかりのミノルタ35に45ミリのレンズをつけた二十八歳の高校教師・大野源二郎(98)の姿があった。

 大野はこのときの一枚を「国際写真サロン」に応募し、入選を果たす。写真は「アサヒカメラ」に載り、日本を代表する写真家の目に留まった。木村伊兵衛(一九〇一~七四年)だ。

 折しも木村は、秋田で農村などの撮影を始めたばかり。たっての希望で、同じ女性を撮ることになった。五三年五月と八月に大曲を訪れて撮った。代表作「秋田おばこ」は、八月の撮影だ。人物撮影は斜めからの光で立体感を出すのが鉄則と習ったが、木村は「半逆光で撮った」(「秋田さきがけ」での大野の回想)。大丈夫かと思ったが、できた写真は見事だった。

 木村はこの写真を五四年に発表。後に別カットが「木村伊兵衛 秋田」の表紙になり、文字通り「秋田の顔」となった。

 だが、被写体の実像はあまり知られていない。その人、入賞時に県立大曲高校三年生だった柴田(後に三上)洋子は、どのような人生を歩んだのか。

 柴田は三三年二月、角間川町(現大仙市)の銀行員の長女に生まれた。小学校に入るとバレエを習い始め、舞踊家安藤三子(みつこ)の指導を受けるようになった。

 運動神経抜群で、大曲女学校(後に大曲中学、同高校)では体操部で活躍した。親友の西村朋子(89)=大仙市=は「恥ずかしがり屋でした」と明かす。いとこの藤田正典(82)=同=によると、コンクールの出場も嫌がったが、同級生たちに「あなたしかいねから」と説得され、しぶしぶ応じたという。

 専門学校を出ると、角間川の公営浴場を借りて、子供たちにバレエを教えはじめた。県南部の湯沢と角館でも教室を開いた。ユネスコ無形文化遺産に決まった西馬音内(にしもない)盆踊りの名手として知られる詩人藤原祐子(79)=秋田県羽後町=は、中一から高二まで湯沢教室の教え子だった。「先生は目に独特の輝きがありました。教わって、とても良い時間でした」と振り返る。

 ダンサーの将来を嘱望された柴田は上京し、テレビの「ペギー葉山ショー」や「シャボン玉ホリデー」のバックダンサーとして活躍した。しかし六三年ごろに膝を脱臼し、泣く泣くバレエの道を断念する。同級生の紹介で衆院議員早川崇の秘書となり、自治相在任中は大臣室に勤めた。秘書時代に日系人の貿易商三上精一と出会い、三十八歳で結婚。七一年に渡米し、ロサンゼルス近郊で暮らした。

つづき
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2023/01/14(土) 20:55:49.91ID:a9N/1/nX
こういう感じじゃないよね
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2023/01/15(日) 00:26:02.08ID:MCxlE0Zz
>>3
>>4
マルウェア
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2023/01/15(日) 23:05:02.00ID:DHXe50AH
洋子cあっぱれ人生ですね
セイイチさんと末永く…


も様のメモさせてください
あらため、思ったのは、完璧に、24h365d考えてやってる、これが俄然強いなって
なかなか人はそれ出来ないけどうまくそうするのが大事、、、五傑様これからも一緒に
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