2/19(日) 6:01   ダイヤモンド・オンライン
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NYタイムズが「映画『チャイナ・シンドローム』や『ミッション:インポッシブル』並のノンフィクション・スリラーだ」と絶賛! エコノミストが「半導体産業を理解したい人にとって本書は素晴らしい出発点になる」と激賞!! フィナンシャル・タイムズ ビジネス・ブック・オブ・ザ・イヤー2022を受賞した超話題作、Chip War
がついに日本に上陸する。
にわかに不足が叫ばれているように、半導体はもはや汎用品ではない。著者のクリス・ミラーが指摘しているように、「半導体の数は限られており、その製造過程は目が回るほど複雑で、恐ろしいほどコストがかかる」のだ。「生産はいくつかの決定的な急所にまるまるかかって」おり、たとえばiPhoneで使われているあるプロセッサは、世界中を見回しても、「たったひとつの企業のたったひとつの建物」でしか生産できない。
もはや石油を超える世界最重要資源である半導体をめぐって、世界各国はどのような思惑を持っているのか? 今回上梓される翻訳書、『半導体戦争――世界最重要テクノロジーをめぐる国家間の攻防』にて、半導体をめぐる地政学的力学、発展の歴史、技術の本質が明かされている。発売を記念し、本書の一部を特別に公開する。● 政府肝入りのTSMC起業の裏には 「組立から製造への進出」という野望があった

 1985年、台湾の有力な大臣である李國鼎(りこくてい)が、台湾にある自身の執務室にモリス・チャンを招き入れた。台湾島にテキサス・インスツルメンツ初の半導体工場をつくるよう、李が同社を説得してから、20年近くの歳月がたっていた。

 その20年間で、彼は同社の上層部と緊密な絆を築き、訪米時は必ずパトリック・ハガティやチャンのもとを訪れ、ほかの電機メーカーにも、テキサス・インスツルメンツに続いて台湾に工場を開設するよう説得して回った。

 そして1985年、彼はチャンを台湾の半導体産業のリーダーとして雇い入れる。「ぜひ台湾で半導体産業を振興したい」と彼はチャンに告げた。「どれくらいの額があれば足りるか教えてくれ[1]」

 「グローバル化」という言葉が初めて一般に普及したのは1990年代のことだが、半導体産業はフェアチャイルドセミコンダクターの最初期の時代から、国際的な生産や組立に頼ってきた。

 そんななか、台湾は、雇用を創出し、先進技術を獲得し、アメリカとの安全保障関係を強化するための戦略の一環として、1960年代から意図的に半導体サプライ・チェーンのなかに身を置いてきた。

 すると、1990年代になって、台湾の重要性が増大しはじめる。その契機となったのは、チャンが台湾政府の強力な後ろ盾を得て創設した、TSMC(台湾積体電路製造)の目覚ましい隆盛だった。

 1985年にチャンが台湾の卓越した工業技術研究院の代表として台湾政府から招聘されたとき、台湾は外国製のチップをテストし、プラスチックやセラミックのパッケージに取りつける、半導体デバイスの組立工程において、アジアをリードしていた。

 台湾政府は、アメリカのRCAから半導体製造技術のライセンスを取得し、1980年にUMC(聯華電子)という半導体メーカーを創設して、半導体製造事業に参入を試みたのだが、同社の技術は最先端に遠く及ばないものだった[2]。

 台湾は半導体産業の仕事が豊富にあることを誇りにしていたが、収益の大半は最先端の半導体を設計して製造する会社が生み出しており、台湾はそのわずかなおこぼれを頂戴する立場に甘んじていた。

 李をはじめとする高官たちは、別の場所で設計・製造された部品を組み立てるだけでなく、その先に進まないかぎり、台湾経済の成長はない、と考えた。

 チャンが1968年に初めて訪台したころ、台湾は香港、韓国、シンガポール、マレーシアと競い合っていた。それが今では、サムスンや韓国のほかの複合企業が、最先端のメモリ・チップに湯水のごとく資金を注ぎ込んでいる状態だった。

 シンガポールやマレーシアは、半導体の組立から製造へと見事に転換を遂げた韓国を見倣おうとしたが、サムスンほどの成功は挙げられずにいた。

 そんな状況だったので、台湾は半導体サプライ・チェーンの最下段という立ち位置を維持するだけでも、絶えず技術を磨いていく必要があった。