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校正者・大西寿男氏が“言葉の信頼度”低下に警鐘「むなしい言葉が生きた言葉の世界を侵食してきている」 [Grrachus★]
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2023/04/17(月) 21:33:26.45ID:2iMBcmdD
4/17(月) 9:06   日刊ゲンダイデジタル
https://news.yahoo.co.jp/articles/bc6ab2cf4b32d856208ef7cc9a631b35da4ce7a3

【注目の人 直撃インタビュー】

大西寿男(校正者)

 言葉は書いた瞬間、口から出た瞬間、独り歩きする──。その言葉たちをすくい上げ、ケアをする校正者は、時に「言葉の守り手」とも称される。書き手が紡いだ言葉を一言一句チェックする作業では、黒子として主体的な言葉を差し挟んではいけないと思われがちだが、むしろ書き手と世の中の架け橋として、しっかりとした思いを持っていなければいけないという。多くの芥川賞作家の作品に携わった言葉のプロフェッショナルに、これまでとこれからの言葉に対するその思いを聞いた。

なぜ校閲の仕事を選んだのですか? 毎日新聞校閲センターに聞いた

 ◇  ◇  ◇

 ──テレビ番組や書籍、SNSなどで校正にスポットが当てられるようになりました。背景には何があると思いますか。校正を取り巻く環境は変わりましたか。

 三浦しをんさんの著書「舟を編む」(2011年)で辞書編集にスポットが当てられたことが大きかったと思います。一方で言葉の暴力に対する問題意識が高まる中、正しい言葉のあり方、言葉を見つめ直したいという機運があったのではないかと感じています。仕事の環境としては、本が売れない時代なので初版を売り切ったら出版社は万々歳。少しの利益を原資にいくつも本を作っているので自転車操業のような状態になっています。また、編集者が1人で同時に何冊も抱えないといけないので、進行管理だけで手いっぱいになっている状況です。以前なら編集者がチェックしていた誤字脱字や表記の統一、文章のブラッシュアップなどが手薄になり、校正者にその分の仕事がまわってくる上に、高度なファクトチェックも求められる。作業量は増え、1冊にかけられる時間がとても短くなっています。

■漢字や漢語の素養が失われる不安

 ──芥川賞作家の金原ひとみさんや宇佐見りんさんをはじめ、その時代を代表するような多くの作家の作品に携わってきたからこそ、言葉の移り変わりを目の当たりにしてきたのでは?

 最前線で書いている作家の方々はやはり凄いので、言葉に対する危機感というものは特にありません。日常の言葉の意味や使われ方は、もちろん時代によって変わってきていて、日本語の乱れを危惧する方も多いですが、まったく新しい表現に触れると、こういう作家が出てきたのかという驚きの方が大きいです。そういう意味では心配していないですし、これからも言葉はそうやって変化しつつ、受け入れられていくんだと思っています。一方で、漢字や漢語に対する感覚や素養が急速に失われているようにも感じます。飛鳥・奈良時代から漢詩、漢文を読んで書けることが官僚や学者、男社会の必須の教養で、江戸時代に寺子屋で学ぶのも「論語」だったり。歴史的に見て最近まで漢字や漢語は大きな権威を持っていたんです。

 ──それは単に難しい漢字や熟語を使えばいいという話ではないと。

 日本語の表現世界から、「漢字が使えたら偉い」という権威主義、教養主義が崩れてきていると感じます。逆に今はカタカナ語を使うことが賢そうでトレンドみたいな風潮もありますよね。また、常用漢字が増えたのは、デジタル社会になり、書けることよりも読めることに重きを置くようになったからです。アウトプットよりインプット重視に世の中が変わりつつあるということなんだと思います。

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2023/04/17(月) 21:34:31.97ID:2iMBcmdD
「自分も相手も間違っているかも」と疑問を
義務教育に「校正」を(配られた教科書を読む児童)/(C)共同通信社

 ──私たちは言葉なしでは生きられないのに、言葉に対する信頼が薄れてきています。

 言葉に信頼が置けなくなったのには政治家の責任が大きいです。政治は世の中の仕組みをつくるので、そこで言葉が信頼できない、通用しないというのは、ある種、近代国家、民主国家ではなくなってきているのではないかとさえ思います。最も罪深いのは安倍政権です。モリカケ桜、集団的自衛権の行使容認もそうですが、のらりくらりで納得のいく答弁をせず、そのくせ口先だけで「丁寧に説明を」などと言う。本当の言葉というものはまったくむなしく、通用しないということを日本中に定着させてしまいました。官僚の人事権を握って誰も逆らえない状況にした上で、不都合な事実は公文書を改ざんしてまでなかったことにする。とんでもないことだと思います。

 ──政治家の発言もそうですが、それらを報じるマスメディアはどうでしょう?

 政治権力と闘う力が弱ってきているように思います。強い言葉で批判することを避けるようになり、闘い方、闘うときの言葉が変わってきた印象があります。労使交渉やストなど昔はゴリゴリやったものでしたが、紳士的になりましたよね。60年、70年は安保闘争がありましたが、それらを批判的に乗り越えて、個人がゆるやかに連帯する市民運動へと変化していった流れとも関係があるかもしれません。新聞の読者もテレビの視聴者も、真面目な批判や議論に引いてしまうところがある。その一方で、揶揄や冷笑がもてはやされたりする。闘い方の文法が変わってきていますし、闘いにくくなっているのではないか。かつては政権に斬り込むマスコミに拍手喝采だったのに、今は偏向だとか過激だとか、良いイメージを持たれなかったりします。耳当たりの良い言葉が日常の言葉のベースになっていく中で、「丁寧な説明」などというウソが平然と踊っています。校正者の仕事は決して美しい言葉、正しい言葉を守るだけではなく、汚い言葉、激しい言葉、どうしようもない言葉も、私たちの生きている言葉、証しとして守っていかなくてはいけないのです。美しい言葉しか残らなかったら、むしろ気持ち悪いですよね。むなしい言葉が私たちのそんな生きた言葉の世界を侵食してきているように思えてなりません。

 ──義務教育における「読み書きそろばん」に「校正」を加えてほしいそうですね。とてもユニークに感じました。

 アウトプットよりインプットを重視する世の中で、文字情報にどのように接するのか、多くの情報をいかに取捨選択するのか、どこにアクセスすれば確からしい情報を得られるのか。言葉を受け取る際の基礎的な知識やスキルが、今後いっそう求められるようになると考えています。それはまた、何かを発信するときの自分の言葉、文字情報の品質を高めるためのスキルでもあります。今の義務教育は主体的な自己表現や発表にも重きを置いているので、情報発信はより重要度が増しています。情報発信には第三者の視点やチェックが必要ですし、文字情報と一定の距離を置いて、うのみにせず、「自分も相手もどこか間違っているかもしれない」と疑問を抱くことが当たり前になってほしいです。
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2023/04/17(月) 21:34:42.57ID:2iMBcmdD
■タイパ、コスパを気にせずゆっくり向き合う

 ──リテラシーですね。生きていくために必要なスキルとしての「校正の力」をつけるために、どんなことに気をつけたらいいでしょう?

 発信する側と受け取る側との間で、言葉のギャップを生じさせたり、誤解を招いたりしないためには、当たり前ですが「人の話をよく聞く」ことです。まず相手が何を言いたいのかを理解・把握することが大切です。もうひとつは「急がない」こと。いきなり最小限の言葉で100%正確に伝えるなんて誰もできません。言葉にもっと時間をかけてあげる。むしろ最初から言葉は伝わらないもの、伝わったら奇跡だと思うくらいのレベルでいいと思います。また、時には言葉をゆっくり味わう時間を持ってほしいですね。本をたくさん読むのもいいですが、雑誌でも新聞でもいいので、単に情報を得るだけでなく、一言一言を味わってほしいのです。たまにはコスパ、タイパなどを気にせず、ゆっくり言葉と向き合う時間を持つことで、深くて広い言葉の深淵に触れられると思います。

 ──言葉と付き合っていく心構えとして、相手側だけでなく自分側にも言葉の理解を深める姿勢が大切なんですね。

 言葉は書いた瞬間、口から出た瞬間、独り歩きしてしまいます。だからこそ、そういうものだという共通認識を持ってもらいたいです。誰でも言葉にしたとたん、思っていたことと何か違うという経験がありますよね。言葉はそれを発する人とは別人格であることをお互いに自覚することで、自分の言葉でも他人の言葉でも受け止め方が変わってきますし、言葉との良い付き合い方ができるのではと思っています。
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