福島第一原発の処理水の海への放出が8月24日から始まった。政府や東京電力が地元漁業者に「関係者の理解なしには、いかなる処分もしない」と約束しながら、根強い反発が残る中で始まった海洋放出をどう受け止めるべきか。この問題の取材を続けるジャーナリストの青木理氏に緊急インタビューした。

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ジャーナリスト 青木理氏

「大きな一歩」どころではない

――地元漁業者が依然として反発する中で処理水が海洋放出されました。こうした動きをどう見ていますか。

今回の放出強行はたしかに重大事であり、漁業者らが反発するのは当然ですが、一方で僕たちはさらに全体状況を俯瞰し、問題の本質が何かに目を凝らす必要があると思います。西村経産相は今回、ALPSで処理した汚染水の放出は「廃炉への大きな一歩」と強調し、敷地内に大量保管するそれを30年ほどかけて放出完了する見通しを示してます。政府や東電がいう「廃炉」工程に合わせた試算であり、それでも気の遠くなるような歳月ですが、果たして30年程度ですべてが終わるのか。

ご存知の通り、メルトダウンを起こした複数の原子炉の底には計880トンもの「燃料デブリ」、つまりは溶け落ちて固まった核燃料が大量に残され、それをすべて除去して回収しない限り廃炉には至らず、今後も高濃度の汚染水は発生し続けます。しかし、事故からすでに12年も経ったというのに、現実はどうかといえば、デブリは1グラムたりとも取り出せていません。いや、デブリの全体状況さえもきちんと把握できておらず、除去・回収の技術や方法すら見通せていないのです。とすれば、廃炉など本当に可能なのか、という疑問さえ湧きます。誤解を恐れずに言えば、チェルノブイリのように石棺みたいな形になりかねない恐れだってある。そう考えると、今回の汚染水・処理水の放出は大きな一歩どころか、乗り越えなければいけない課題の巨大さに足がすくみます。

傷の甚大さと深刻さ 改めて深く考えるべき

――処理水の放出がクローズアップされていますが、その先の廃炉は全く見通せないことをきちんと受け止めるべきということですね。

むしろ今回の放出強行であらためて深く考えるべきは、人類史でも最悪クラスとされる福島第一原発事故の、それを起こしてしまった僕たちの痛切な失敗と、原発事故というものがひとたび起きた際に残される傷の甚大さと深刻さでしょう。繰り返しますが、内外の猛反発を受けて放出を強行しても、今後何十年も汚染水は発生し続け、廃炉が可能なのかさえ見通せない。こうした状況にもかかわらず、政府と電力会社は事故後の原発政策を平然と翻し、新増設やら老朽原発の60年超運転やらに乗り出すと公言しています。言葉は悪いですが、正気の沙汰とは思えません。

最近、山口県上関町が「使用済み核燃料の中間貯蔵施設」の調査受け入れを表明しましたが、その根幹たる核燃サイクルなどとうの昔に破綻しているのに、破綻の矛盾を糊塗しながら札ビラを切って過疎地に関連施設を押しつける、そんな旧態依然としたやり方を繰り返していていいのか。また、「トイレなきマンション」と揶揄される原発政策をめぐっては、いずれ核廃棄物の最終処分場を作らざるをえませんが、文献調査を受ける自治体がいくつかはあっても、現実的にそれを完成させられるかもまったく見通せません。

原発に拘泥し遅れをとる一方の再エネ技術

――原発事故の反省が生かされていないとのご指摘ですね。こうした原発政策にどう向き合うべきとお考えですか。

つづき
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