方治は裁判で弱肉強食政策の正当性を訴えたかったらしいが
当時の世界情勢は植民地主義が流行っていたし方治の望み通りの世界になっていたんじゃないの?
国内情勢しか見ていなかったのが絶望の原因なのでは?