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毎日新聞 2021/11/3 20:35(最終更新 11/3 21:47) 1894文字




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面談後に記者会見する生徒の両親=岡山市北区で2021年11月3日午後4時2分、松室花実撮影

 生徒が自ら命を絶って9年。岡山県立岡山操山高校(岡山市中区)で2012年、野球部マネジャーだった2年の男子生徒(当時16歳)が自殺した問題で、県教育委員会は3日、遺族と面談し、当時の監督だった男性教諭の激しい叱責や体罰が自殺の原因だったと説明した。学校側の責任を認めた形だ。説明を求め続けてきた遺族にとっては長い道のりだったが、遺族は「検証が不十分」とさらなる調査を求め、今もなお解決には至っていない。遺族は「いくら願っても息子が戻ってくることはないが、せめて今後の再発防止に生かしてほしい」と話している。

 今年3月、弁護士などで構成された第三者調査委員会が教諭の指導と自殺との因果関係を認める報告書を公表したが、県教委は明確な見解を示していなかった。



 この日は県教委の鍵本芳明教育長らが、岡山市内で生徒の両親と対面した。2時間半にわたった面談後、報道陣の取材に応じた鍵本教育長によると、県教委側は遺族に対し「自殺の原因は監督の叱責や体罰であり、教員という立場を利用したハラスメントだった」と説明。第三者委の報告を追認する形となった。第三者委は報告の中で、自殺直後の県教委による調査が不十分だったとも指摘したが、鍵本教育長は「組織としての保身があった」とした。

遺族「寄り添った対応してもらっていない」
 両親も面談後に記者会見し「報告書の内容を認めてもらったことは大きいが、県教委の調査が遅れた具体的な理由などは説明されず、今も私たちの心情に寄り添った対応をしてもらっていない」と述べた。



 第三者委の報告書によると、監督だった教諭は部員がミスをすると「殺すぞ」と言ったり、部員の態度が気に入らないとパイプ椅子を振り上げたりするなど、日常的に暴言や体罰を繰り返していたという。自殺した生徒も度々叱責され、「耐えられない」と12年6月に一度退部したが、翌7月にマネジャーとして復帰。しかし復帰2日後には炎天下のグラウンドに1人残されて怒鳴り続けられた。その帰り道、生徒は同級生に「もう俺はマネジャーじゃない。存在しているだけだ」と話したのが最後の言葉となり、命を絶った。

 県教委は当初の調査で自殺の原因を「不明」としたが、両親は独自の聞き取りにより教諭の言動を問題視し、第三者委による調査を繰り返し要望。設置後にようやく調査が始まったのは、生徒が亡くなって6年後の18年8月だった。



 第三者委が21年3月に報告書を公表すると、両親は県教委に謝罪や説明を求めたが、明確な返答がないとして、6月に「いまだに説明や謝罪がなく不信感が高まる」とコメントを公表していた。9月以降、県教委から「報告書の中で指摘されたものは全て問題点として認識している」と回答があり、今回の面談を受け入れることになったという。

 第三者委の報告書では県教委に対し、再発防止策の作成と進捗状況の公開なども求めている。しかしこの日の面談では報告に対する県教委の認識を説明するにとどまり、今後の予定も「ご遺族と調整しながら進めていく」と県教委側は明確な方針を示さなかった。両親は会見で「実効性のある再発防止策を作るためにも、まず主体的な検証を行ってほしい」と求めた。【松室花実】


問題を巡る経緯
2012年

7月 男子生徒が自殺

10月 野球部監督の叱責が自殺の原因になった可能性があるとして、生徒の両親が県教委に調査を要望

2013年

2月 県教委が「自殺と(野球部監督の)指導の因果関係はわからない」との見解を示す

8月 学校側が当時の同級生らにアンケートを実施。新たな証言は得られず

2017年

5月 両親が県に第三者委員会の設置を要望

7月 県が第三者委設置

2021年

3月 第三者委が「自殺の原因は当時の野球部監督からの激しい叱責などだった」とする報告書をまとめる

6月 県教委が報告書を県のホームページで公開。両親が「県教委から謝罪や説明が一切なく、不信感が高まる」とのコメントを発表

9月 県教委が両親に「当時の野球部監督のハラスメントが自殺原因だった」と文書で回答

11月 報告書が作成されて以来初めて、県教委が両親と面談