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2021年11月07日18時30分

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政界引退を表明した自民党の伊吹文明元衆院議長=6月28日、京都市上京区の京都府庁

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衆院本会議で解散詔書を読み上げる大島理森議長=10月14日、国会内




 10・31衆院選を機に引退を表明した約30人の政治家の中で、いずれも衆院議長を務めた自民党の伊吹文明(83)、大島理森(75)両氏が、引退会見やインタビューなどで後輩への“遺言”として、政治の劣化が指摘される現状に警鐘を鳴らした。伊吹氏は、第2次安倍安倍晋三政権発足以降に目立った独善・独裁的な政治手法について「保守は非常に謙虚な政治思想。人は間違うものだから、政党が排他的に決めたり、独裁者が一人で決めるのは極めて危険だ」と指摘。大島氏も「コロナ禍で一部に強いリーダーシップを求める意見もあるが、歴史をみれば権威主義の政治、独裁政治が生まれてくるので警戒すべきだ」と同様の見解を示した。両氏は党・内閣の要職を歴任し、派閥領袖(りょうしゅう)を経て議長に就任した文字通りの政界長老で、豊富な政治経験も踏まえた発言に「憂国の情」をにじませた。
 両氏は共に12回連続当選。伊吹氏は大蔵省(現財務省)のエリート官僚から、大島氏は新聞社勤務と地方議員を経験してからと、中央政界入りの経緯は対照的で、政界での人物評も異なるが、政局の節目などで手腕を発揮してきた点は共通している。伊吹氏は2012年12月の第2次安倍政権発足から約2年間、大島氏は15年4月から安倍、菅義偉、岸田文雄3政権で歴代最長の約6年半、国権の最高機関のトップを務めた。伊吹氏は労相、財務相や党幹事長を、大島氏も文相、農林水産相や党幹事長、党副総裁を歴任し、その経歴が議長としての指導力にもつながっていた。
◇「国会軽視は国民軽視」と厳しく指摘
 両氏は共に、政界でのユニークなあだ名の持ち主としても知られた。伊吹氏は「イブキング」、大島氏は「悪代官」と、どちらもあまり印象は良くないが、そのこと自体が両氏の存在感を際立たせる要因ともなっていた。前者は伊吹氏の名前と王様の「キング」を重ね合わせたもの。常々、厳密な法解釈や豊富な知識を基に「正論」を主張する一方、議長時代には「国会では自分が最高位」と、国会内の廊下で首相と擦れ違う際にも道を譲らなかったエピソードなどから、国会関係者が付けたあだ名とされる。
 後者は大島氏が党国対委員長時代、当時の漆原良夫公明党国対委員長と親密な関係を築き、双方の風貌から時代劇にちなんで「悪代官(大島氏)」「越後屋(漆原氏)」と呼ばれ、政界で定着した。当時、「握りの大島」として相手の立場も尊重し、硬軟自在に国会運営を切り回す姿をやゆしたものだが、「政治的には褒め言葉」(自民幹部)と受け止められていた。
 一方、両氏は長い政治経歴の中で、放言やスキャンダルでの批判も受けた。伊吹氏は議長時代、スポーツ指導などでの体罰について「体罰を全否定していては、教育などできない」と発言して批判された。また、大島氏は農水相時代の02年に、政策秘書が公共工事絡みで多額の口利き料を得ていた疑惑が発覚して国会で追及され、翌年3月に「秘書への監督責任」を理由に辞任した。ただ、それを差し引いても、両氏の政界重鎮としての功績を評価する声は多い。
 今回の政界引退に関しては、周囲の反応も含め、それぞれの対応は対照的だった。衆院の最高齢議員だった伊吹氏は、6月の通常国会閉幕後に地元・京都で高齢などを理由に引退表明したが、8歳年下の大島氏は、8月のお盆期間の地元・青森での記者会見で「燃え尽きる前に」後進に道を譲ると表明し、周囲を驚かせた。ただ長老として、共に「国会軽視は国民軽視」(伊吹氏)と議会の重要性を力説し、最後まで「名物ご意見番」(自民幹部)としての気概を示した【政治ジャーナリスト・泉 宏/「地方行政」11月1日号より】。