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2021/11/18(木) 08:08:29.85ID:5eXCrong9毎日新聞 2021/11/18 04:30(最終更新 11/18 04:30) 1383文字
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故・李秀賢さんの通夜で焼香に訪れた参列者に頭を下げる父・盛大さんと涙をぬぐう母・辛潤賛さん=東京都荒川区東日暮里で2001年1月28日午後6時40分、森田剛史撮影
東京都内のJR新大久保駅でホームから転落した男性を助けようとして韓国人留学生の李秀賢(イスヒョン)さん(当時26歳)らが亡くなった事故から今年で20年。李さんの死をきっかけに設立された「LSHアジア奨学会」から奨学金を受け取ったアジアからの留学生は今年で1000人を超え、18日に授与式が行われる。奨学会は日韓関係の悪化など逆風に何度も直面したが、関係者は「受給者1000人を目標にがんばってきた」と語る。
事故は2001年1月26日に起きた。酒に酔いホームから男性が転落。李さんとカメラマンの関根史郎さん(同47歳)は男性を助けようと線路に飛び降りたが、3人とも電車にはねられ死亡した。李さんが通っていた「赤門会日本語学校」(東京都荒川区)の新井時賛理事長は事故直後、警察に呼ばれ遺体を確認した。「(遺体には)逃げようとした形跡がなく、最後まで救出しようとしていたそうだ。当時のことは昨日のことのように鮮明に覚えている」と語る。
奨学会の鹿取克章会長は事故当時、在韓日本大使館総括公使として李さんの実家がある釜山に駆けつけ、葬式に参列した。「『こんな純粋な韓国人の青年が』と日を追うごとに悲しみが増した」と振り返る。
事故の翌年、父李盛大(イソンデ)さん(19年に79歳で死去)と、母辛潤賛(シンユンチャン)さんは、息子の遺志を次世代につなげようと、遺族への弔慰金を元に日本語学校で学ぶアジア各国からの留学生を支援する奨学会を設立。LSHは李秀賢さんの英語の頭文字だ。奨学会は毎年50人程度に奨学金を支給してきたが、今年は20年の節目として61人に増やしたため、受給者は延べ1059人になる。
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李秀賢さん=LSHアジア奨学会提供
奨学会はこの20年、いくつもの困難に見舞われた。
設立当初の00年代は日韓関係が比較的良好で、韓流ブームも後押し、多くの寄付金が集まった。だが、11年の在韓日本大使館前の慰安婦像設置や12年の李明博(イミョンバク)大統領の竹島上陸を機に日韓関係が暗転。韓国最高裁が18年に元徴用工の訴訟で日本企業に賠償を命じてから、さらに冷え込んだ。
日韓関係悪化と記憶の風化が進む中、新井さんや奨学会の職員が日本語学校などを訪ね歩き、支援の輪を維持してきた。厳しい状況でここまで続いたのは、そうした訴えに賛同した企業の支援に加え、命日や奨学金授与式のイベントに必ず出席した両親のアピール力だ。新井さんは「息子の遺志を伝えようという両親の強い思いと人柄が日韓の市民をつなぎ続けた」と力説する。
この1、2年、寄付金はむしろ増えている。韓国の実業家からの寄付もあった。鹿取さんは「日韓の草の根、市民の間の交流は強い」と改めて認識したと話し、「困難な時代であればあるほど、他者への思いやりと多様性への寛容が社会に求められている。李さんの示した人間愛を忘れないでほしい」と訴えた。
新型コロナウイルスの感染を防ぐ水際対策で、国費留学生など一部を除き、留学生全体の9割以上を占める私費留学生は入国できない状態が続いた。今月8日から制限を緩和したが、入国審査の手続きに時間がかかるため、留学生の「日本離れ」が懸念されている。
鹿取さんは「日本語を勉強したいと思ってくれる留学生は極めて貴重な存在。留学がスムーズにできないと他の国にいってしまうのはもったいない」と状況改善を求めた。【日下部元美】