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[ 2021年11月23日 05:30 ]

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辞意を表明し頭を下げる木下富美子都議(撮影・光山 貴大)
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 7月の東京都議選の選挙運動期間中に無免許運転の人身事故を起こし、2度の辞職勧告決議を受けた木下富美子都議が22日、都庁で記者会見し、辞職することを表明した。事故発覚以来初めて姿を見せた9日に議員継続を宣言してから、たった2週間で急転。最後は“生みの親”である小池百合子都知事の元を訪れ、自らけじめをつけた形だが、恨み節連発の逆ギレ会見となった。

 【木下氏に聞く】

 ――いつ辞職を決断したか?
 「9日に登庁したが、委員会が開かれなかった。仕事がしたいのに仕事をさせてもらえない理不尽な現実に悩んだ。85歳の父も危険な目に遭い、これ以上家族を巻き込めなかった。19日に公判請求されたことは関係がない。それより前に辞職する方向で準備を進めていた」

 ――2度の議員辞職勧告をどう受け止めた?
 「重く受け止めている。だが法的拘束力はないもの。議員の進退は本人が決することで、私の判断で辞職した」

 ――都議選のために事故を隠したのか?
 「7月4日が都議選の投開票日で、被害者の方が診断書を提出していたのを知ったのが5日だった。3日に警察の聴取と保険会社への連絡を済ませ、対応が済んだと考えた。当て逃げ事件もその認識がなかった。現に嫌疑不十分で不起訴になっている。隠す意図はなかったが、直ちに公表できず隠ぺいと思われても当然」

 ――無免許運転についての受け止めは?
 「交通規範を守る順法意識が弛緩(しかん)していた。免停も個人的なことなので周囲に話していなかった。もしも選挙対策委員やボランティアに話していれば、運転で助けてくれていたかもしれない」

 ――欠席期間の議員報酬について。
 「欠席していた7月からの3カ月分を女性や子供たちを支援する団体に寄付した。11月分の報酬は、9日に仕事がしたくてもできなかった。受け取りを検討したい」