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2021/12/5 09:00


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たっぷりの一味がまぶされた「淡平」の激辛特辛子煎餅。生地にも一味が練り込まれ、舌がしびれる辛さだ=11月24日、東京都葛飾区(飯田英男撮影)

昭和60年ごろに始まり、いまだに衰えを知らない「激辛ブーム」。辛い料理といえば麻婆豆腐やカレー、担々麺が思い浮かぶが、実は激辛という言葉を世に送りだしたのは、とある煎餅屋さんだったという。激辛ブームの元祖とされる店を訪ねた。

京成電鉄青砥駅(東京都葛飾区)を降りて5分ほど歩くと、年季の入った木造の店構えと赤いのぼりが見えてくる。明治17年創業の老舗「淡平(あわへい)」の本社兼工場だ。

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「ばったん」という機械で表裏を焼く。一味の量が多いため、焼き加減が通常の煎餅とは違うという(飯田英男撮影)

「並大抵の辛さではないので一気に何枚も食べるのは難しいのですが、この激辛ぶりが病みつきになるというお客さんも少なくないです」

5代目代表の鈴木敬さん(60)はこう話す。

工場で作り方を見せてもらった。手始めにうるち米をこねて団子状にする。次にこれを石臼でつきながら一味唐辛子を混ぜるが、比率は「生地よりも一味の量が多い」(鈴木さん)。平たくしたものを乾かし、焼いて…といった工程を経て、最後にしょうゆにつけて再び一味をびっしりとまぶせば「激辛特辛子煎餅」の完成だ。

中も外も一味尽くしの煎餅は、香りを嗅ぐだけで思わずせき込んでしまうほど。一口かじると、しょうゆのうまみを感じた直後、猛烈な辛さが舌を襲い、汗がしばらく止まらなくなった。

サラリーマンが火付け役に
鈴木さんによると、激辛煎餅が生まれたのは昭和46年ごろ。当時小学生だった鈴木さんが、学習塾の先生から「こんなの食べたことがあるかい」と七味唐辛子をまぶした煎餅をもらったのがきっかけだった。

「もっと辛い煎餅だって作れるはず」。そう考えた鈴木さんは、父の昭さんに七味やサンショウを混ぜた煎餅を作ってもらった。

完成品を塾に持っていったところ、先生や同級生が次々と悶絶(もんぜつ)。お祭り騒ぎになったという。

この話を家族に伝えると、根っからの辛党≠セった母・靖子さんが「せっかくだから商品として売ってみたら」と提案。七味ではなく一味を使うなど改良を加え、とにかく辛いという意味で「激辛」と名付けて神田で売り出したところ、サラリーマンたちの間で「訪問先に持っていくと顔を覚えてもらえる」と好評を博した。

伝えていく味わいに
「激辛」の言葉が脚光を浴びたのは、昭和61年。エスニック料理などがブームを迎えるなか、「『現代用語の基礎知識』選 新語・流行語大賞」(当時の名称)の新語部門で「激辛」が銀賞を受賞。言葉を生み出したとして、昭さんが賞を受け取った。その後、激辛の二文字は全国区に広がっていき、今では日本語として浸透。辞書にも載っている。

それから約40年。新たに定着したハバネロソースやタバスコといった調味料を使えば、さらなる辛さも目指せそうだが、鈴木さんは「単に辛いだけではなく、おいしいと感じてもらえる絶妙なあんばいが今の味。今後もこの激辛味を守っていきたい」と語る。

外食市場に関する調査・研究をする「ホットペッパーグルメ外食総研」の調べによると、新型コロナウイルス禍を機に「辛い料理を食べたい」と思う人が増えているとか。

元祖激辛の味わいは、長引くコロナ禍で単調になりがちな毎日にぴりりと刺激をもたらしてくれるだろう。(竹之内秀介)