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2022年2月2日 6時0分スポーツ報知

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67年10月24日の日本シリーズ第3戦、巨人・金田正一(左)、長島茂雄(中央)を訪ねる石原慎太郎氏



 元東京都知事で芥川賞作家の石原慎太郎さんが1日午前、東京・大田区の自宅で死去した。89歳。昨年10月に膵臓(すいぞう)がんを再発していた。後日、お別れの会を開く。1968年に参院選に当選後、国会議員、都知事として歩んだ政治家人生は46年。タカ派政治家の代表格として知られ、東京五輪・パラリンピック招致への道筋をつけた。

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 トップは長めでサイドは短め。若き日の石原氏が好んだ髪形は「慎太郎刈り」と呼ばれ、若者の間で流行した。世間のヘアスタイルに影響を与える文学者など後にも先にも存在しない。

 後年は政治家としても強烈な存在感を発揮したが、登場から最後まで戦後文壇におけるスーパースターとして在り続けた。20代でも80代でも年間ベストセラー1位の作品を生んだ作家など、こちらも後にも先にも存在しない。

 1956年、一橋大在学時に発表した「太陽の季節」で当時最年少の23歳で芥川賞を受賞。若者の奔放な性と生活を描いた作品は大論争を巻き起こし「太陽族」は流行語に。ひとつの文学賞でしかなかった同賞が社会的関心を集める発端になる事件だった。映画化作品は石原裕次郎という昭和最大のスターも生んだ。

 あまりに有名な一文がある。「勃起した陰茎を障子に突き立てた」。いわゆる「障子破り」は戦後日本文学における伝説のシーンになる。70年の大阪万博開幕前、芸術家の岡本太郎氏がモニュメントの塔を制作した後、SF作家の小松左京氏と共に現地を視察した。小松氏は、そびえる塔のフォルムから障子を破る男根を思い出したようで「お! 太陽の季節だねえ!」と感嘆の声を上げると、ひらめいた岡本氏は「それ、イイ! 『太陽の塔』と命名しよう!」と決意の言葉を返したことはあまり知られていない。

 89年にはソニー創業者・盛田昭夫氏との共著「『NO』と言える日本」が100万部、96年には裕次郎さんを主人公にした「弟」が140万部を超えた。2016年に田中角栄元首相をテーマにした「天才」はミリオンセラーに。80歳を超えても売れる本を生み出し続ける「生涯流行作家」だった。