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毎日新聞 2022/2/5 11:49(最終更新 2/5 11:49) 582文字




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石原慎太郎氏について語る山崎拓氏=福岡市中央区で2022年2月4日、津村豊和撮影

 自民党元副総裁の山崎拓氏(85)が毎日新聞の取材に応じ、1日に亡くなった作家で元東京都知事の石原慎太郎氏(享年89)について語った。国会議員時代から50年来の親交があった石原氏について「存在感が大きな人だった。さまざまな思い出が脳裏を去来する。亡くなられて、さびしい」と悼んだ。

 2人は1972年衆院選の初当選同期。石原氏は、旧福岡1区に無所属で出馬した山崎氏の応援に駆け付けたといい「知名度抜群で、選挙終盤に応援してもらったおかげで奇跡的な当選を果たせた。政治家人生では生涯の恩人だ」と振り返った。



 石原氏は68年に参院選全国区に立候補し、史上初の300万超の得票で初当選した後、衆院にくら替えした。山崎氏は「旧来型の自民党の選挙を根本的に変えた。お金を使わずに民心をつかんで大量得票する。革命的で、ポピュリズムの先駆けと言ってもよい」と評した。大統領制のように国民が直接投票する選挙制度であれば「間違いなく首相になっていただろう」とも話した。

 山崎氏は初当選時の「大恩」もあり、石原氏の長男・伸晃氏に自民党内の自身の派閥を継承してもらうことになったと語り「慎太郎氏は『自分は夢を果たせなかったが、息子を首相にしてくれ』と言っていた」と明かした。その会談の席では弟で俳優の裕次郎氏(故人)の歌も披露し、「裕次郎より歌はうまい」と豪語していたという。【光田宗義】