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毎日新聞 2022/2/6 09:00(最終更新 2/6 09:00) 有料記事 2614文字




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キリスト教用の教誨(きょうかい)室の祭壇には十字架やろうそく、聖書などが並ぶ=東京都葛飾区の東京拘置所で2012年10月4日、須賀川理撮影

 昨年12月、日本で2年ぶりに死刑が執行された。死刑廃止が世界の流れとなる中、国際社会からは批判も強い。神戸連続児童殺傷事件(1997年)の弁護団長を務めた野口善國弁護士(兵庫県弁護士会)はかつて、刑務官として執行に立ち会った。情報公開レベルの低い日本の死刑状況にあって、野口さんの証言は貴重だ。【小倉孝保】

 野口さんは70年、東京大学を卒業して東京拘置所の刑務官となった。翌年暮れ、執行を告げられたばかりの死刑囚を受け持った。

 当時、執行は前日の朝、拘置所長から本人に告知されていた。それが終わるとすぐ、死刑囚を特別な部屋に移動(転房)させ、常時警備担当者が監視する。転房先は4階の一室。普段はその階全体が使われていなかった。

 拘置所が執行決定を家族に連絡すると、妻とおじが面会にやって来た。野口さんは当直看守長と一緒に立ち会った。

 面会用の部屋にはテーブルが置かれ、アクリル板などのついたてはなかった。テーブルを挟み、向かい合うように座った妻は、夫の手を握って泣くばかりだ。死刑囚は「よく来てくれた」と言った後、拘置所でお経(仏教)をあげてきた経験に触れた。

 「正直、悟りという気持ちにはなれなかった。しかし、明日死ぬとわかり、今は落ち着いた気持ちだ。罪を自覚し、その責任をとるのは当然なので、悲しまないでほしい」

 さらに、「誰でもいつかは亡くなるんです。僕が先に行くことになっただけです」と語り、「悲しまないように」と繰り返した。

 約30分の面会中、妻は言葉を発しない。死刑囚が部屋を出ようとする時、妻が絞り出すようにこう言った。「子どもの顔が段々、あなたに似てきたわ」

 野口さんは言う。「その奥さんの姿を忘れません。正直に言えば、可哀そうにと思いました。でも、どうすることもできない。横の当直看守長も涙ぐんでいました」

 その後、死刑囚は4階に戻り、僧侶(篤志面接員)と談笑した後、手紙を書いた。部屋には、ジュースなど飲み物や食べ物が置いてあり、いつでも飲食できるよう配慮されていた。死刑囚は飲み食いしている様子もなく、終始落ち着いていた。

 一夜開け執行日となる。警備担当者が朝、死刑囚を刑場の建物に連れて行く。死刑囚は暴れも叫びもしなかった。野口さんも付き添った。

 建物に入ると、カーテンで部屋が仕切られ、絞首の器具などは見えない。入り口左手に仏壇があり、僧侶が読経していた。

 すでに所長を中心に管理部長ら幹部が並んでいる。死刑囚が所長に、「長い間、お世話になりました」とあいさつする。「言い残すことはないか」と聞かれた死刑囚は、「お願いを一つ、いいですか」と切り出し、世話になった幹部との握手を求めた。幹部たちは順に手を差し出した。

 保安課長が「決まりだから、そろそろ行くぞ」と言うと、死刑囚は目隠しをされ、体の後ろで手錠をかけられた。カーテンの仕切りがすっと開く。部屋の真ん中に絞首設備が現れた。

 警備担当者が死刑囚を四角い印の真ん中に立たせて、太いロープを首に巻く。右手にガラスで仕切られた部屋があり、刑務官3人が並んでいた。うち1人は野口さんの部下だった。それぞれの前にレバーがある。

 幹部の合図で3人が一斉にレバーを引いた。死刑囚の足元の床板が一瞬、少しはねるように上がったかと思うと、「ガタン」という音とともに割れ、死刑囚の体が落ちて消えた。ロープがぶらぶら揺れている。野口さんは警備担当者と一緒に、揺れないようロープをつかみ続けた。

 大きく開いた床から下をのぞく…

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