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2022/2/6 15:00



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朝鮮労働党中央委員会総会に臨む金正恩党総書記=2021年12月、平壌(朝鮮中央通信=共同)

至近距離で見た若き独裁者はごく普通の青年という印象だった。2014年1月、米プロバスケットボール協会(NBA)の元スター選手、デニス・ロッドマン氏の訪朝を記念して平壌でバスケットボールの親善試合が行われた。憧れのアイドルとの同席を無邪気に喜ぶ金正恩氏の表情を見て、当時駐北朝鮮ドイツ大使だったトーマス・シェーファー氏は「指導者になったことは、彼にとって幸せだったのだろうか」と思ったという。

わずか1カ月前には叔父で後見役だった張成沢氏が処刑されていた。特権と粛清が紙一重の世界。この親善試合から3年後の17年2月、正恩氏の異母兄、金正男氏はマレーシアの国際空港で毒殺された。

毒殺事件の「主犯」
「正男氏を殺害したのは正恩氏なのか?」

「いや、違う」

「では、一体だれが?」

「それは…システムだ」

正男氏殺害の後、シェーファー氏と韓国の消息筋が交わした会話だ。

事件を主導したのは当時も今も正恩氏とされており、それに異論をはさむ見方はほとんどない。システム主犯説もこれと矛盾するものではない。金正日氏の長男として生まれた正男氏は「白頭の血統」といわれるロイヤル・ファミリーだ。ファミリーの殺害に正恩氏の同意がなかったはずはない。

しかし、殺害の計画・実行は正恩氏の意図を超えたところでシステム―既得権益層からなる権力集団―によって算段されていたという分析は興味深い。シェーファー氏によると、正日氏の死後から数年間、北の指導部内では、核・ミサイル開発を進め、国際社会とは協調しない強硬派と中国式の改革・開放を目指し、国際社会との対話にも前向きな穏健派による激しい権力闘争が展開された。穏健派の代表格だった張氏の処刑を経て強硬派が実権を握った。

正男氏は自分は北の指導者になるつもりはない、と公言し、命乞いの手紙まで正恩氏に書いていたが、システムはそう判断しなかった。穏健派が再び力を得たときに正男氏が担ぎ出される可能性を念頭に「潜在的な敵」として排除した。

正男氏も生前、こう言及している。「三十七年間の絶対権力を、(後継者教育が)二年ほどの若い世襲後継者が、どう受け継いでいけるのか疑問です。若い後継者を象徴として存在させ、既存のパワーグループが、父上の後を引き継いでいくとみられます」(五味洋治著「父・金正日と私 金正男独占告白」)

会合は「やぶへび」
毒殺事件にまつわる後日談をシェーファー氏は著書「金正日から金正恩まで」でこう紹介している。事件から約3カ月後、平壌で各国の大使や新華社などの海外、国内メディアの記者ら150人が集められた会合が突然開かれた。会合では「米中央情報局(CIA)と韓国の国家情報院による正恩氏暗殺計画の阻止」について外務次官が説明に立った。

説明後、すぐにシリアの大使が「計画阻止」への祝意を述べた。強権国家同士の絆≠感じさせる一幕だ。続いてシェーファー氏が英語で暗殺計画の疑わしさを指摘し、こう問いただした。「正男氏の事件について説明してもらえませんか」

次官は「この質問には既に答えたので朝鮮語に訳す必要はない」と虚偽の説明をするやいなや会合を打ち切った。会場には事件のことを知らなかった人も多くおり、質問は波紋を呼んだという。やぶへびとはこのことで、さしものシステムもさぞや狼狽(ろうばい)したに違いない。

攻撃性と排他性
正日氏も冷酷な独裁者だったが、異母弟の金平一氏を殺害することはなかった。それは正日氏が絶対的な権力者だったからだろう。父とは異なり、正恩氏は「システムのパーツ」(シェーファー氏)「象徴」(正男氏)にとどまるから張氏や正男氏の殺害が実行された、とみることもできる。張氏が、交通事故などひっそり≠ニではなく、公開処刑のような形で排除されたことも「強硬派主体のシステムによる政敵への警告」とシェーファー氏は分析する。

北朝鮮は年明けから極超音速ミサイルと称する各種のミサイルを連続して発射し、脅威を作りだしている。システムも独裁者も攻撃性と排他性を増すことで求心力を高める。それを中国が支える。日本は今年もこんな隣人たちと対峙(たいじ)しなければならない。(ながと まさこ)