記者必携の「記者ハンドブック」(共同通信社刊)の「紛らわしい地名」一覧に、岐阜県の項目で唯一エントリーするのが「各務原」と「各務ケ原」。前者は「かかみがはら」と読み「正式」とされ、後者は「かがみがはら」と読み「JRの駅名」とある。他に「かかみはら」「かがみはら」と読む場合も。なぜ表記の揺れ、読みの揺れが生じたのか。中山道が鍵の一つになったとみる専門家がいる。

 「各務原」という地名の「各務」の由来は、7世紀ごろにこの地を治めた渡来系の豪族が「各牟(かかむ)」を名乗ったのが変化したもの、と話すのは各務原の歴史を研究する同市教委事務局文化財課長の西村勝広さん(56)。現在の各務原市北東部にある各務山から北側の、山々に囲まれた地域はその後「各務村」となり、集落をなした。古代に銅鏡を作る人々が住んだ地域だったという説もあるが、「鏡」を当て字に使っただけの俗説だと指摘する。

 各務原市は、1963年に稲葉郡那加町、鵜沼町、蘇原町、稲羽町が統合して誕生した。町名になかった「各務原」を市名としたのは全国的に有名な飛行場(現航空自衛隊岐阜基地)から採ったといわれているが、なぜ読み方を「かかみがはら」と決めたかについては、公式資料が残されていない。

 「かがみがはら」の駅名となった経緯についてJR東海は「資料が残っていない」と回答。そして市内にある各務原高校は「かかみはら」。さらに、以前は名鉄各務原線で「かがみはら」と読ませる駅名があったこともあり、市民の間ではこの読み方が根強い。「各務原」には4通りの読み方が混在するのだ。

 「かかみ」か「かがみ」かについて、西村さんが着目したのは各務村と、各務原市を横断する中山道。江戸期に人々が往来した中山道が緩やかな境界線となって、外部からの人々との交流が盛んだった南部では関西特有の濁音語文化が反映され「かがみ」、北部では各務村の読み方そのままに「かかみ」という読まれ方が定着したのではないかとみる。現に、各務原(かかみはら)高校は北部に位置し、各務ケ原(かがみがはら)駅は旧各務村の南部にある。南部の一帯は「各務野(かがみの)」と呼ばれた後、飛行場が開設された大正期に「野」が「原」になり、「ヶ(が)」を入れて「各務ケ原」と表記されるようになった。

 市名については、読みの「かかみ」は各務村が由来、「み」の後に「が」を入れたのは大正期からの読み方を踏襲したと西村さんは分析する。表記に「ヶ」が入らなかったのは当時の傾向で省略したからとみる。「『かかみがはら』は統合した4町のハイブリッド型といえる」。名鉄各務原線の駅名「名電各務原」「各務原飛行場(現各務原市役所前)」は市制施行の2年後に読みを「かがみはら」から「かかみがはら」に改めた。

 西村さんによると、各務ケ原駅の表記は近年に「ヶ」から「ケ」に変更された。その理由についてJR東海は「2018年の駅舎改築の際に駅名表記を修正したため」と話す。西村さんは「今なお変化がある。まるで生き物のよう」と目を見張り、「4通り、どう読んでも各務原のことだと通じる。何でもありが許される、市民の寛容さの表れかもしれない」と笑顔で話した。

岐阜新聞 2022年3月7日 08:24
https://www.gifu-np.co.jp/articles/-/50120