0001蚤の市 ★ [AR]
2022/09/09(金) 08:10:24.10ID:mu7Ikkzp9最初の危機は、伯父で独身の国王、エドワード8世が、2度の離婚歴のあるシンプソン夫人と結婚しようとして、首相、カンタベリー大主教らの大反対にあい、1936年に退位したときだ。弟君がジョージ6世として即位したとき、長女エリザベス王女が次の国王になることが確定した。エドワード8世の“王冠をかけた恋”によって英王室の権威はいたく傷ついた。エリザベスが、死ぬまで女王として働く決意をしたのは、この退位事件からである。
第二の危機は、52年、妹君マーガレット王女が離婚歴のあるタウンゼント大佐と恋におち、女王に結婚を相談したときである。愛する妹の幸せを願いながらも、女王は英国国教会の首長として王位継承権のある王女と離婚経験者との結婚を許してはならないとの立場に立った。王女に結婚をあきらめさせたことで危機は去った。
第三の危機は、97年、ダイアナ元皇太子妃がパリで交通事故死したときである。孫のウィリアム王子らとスコットランドにいたが、孫を守ることこそ祖母の第一の義務としてロンドンに帰らなかった。世論は、なぜロンドンに帰還しないのか、と激高、女王の権威は地に落ちたといわれた。
国民の怒りを知った女王は、その後王室の威信回復のため、王室費の削減を決め、パブを突然訪問するなど国民と近づく必死の努力をした。これが実を結び、一時戦後最低となった王室支持率は急上昇、女王の権威は復活した。
女王は通常、議会の開会式、叙勲式など儀式を執り行い、チャリティーのパトロンとして福祉の資金集めにも参加する。こうした行事をいやな顔ひとつせずに年間600件もこなしてきた。だから“王室のプロ”と称されたのだ。(略)
女王は死ぬまで国民に奉仕する、との若いときの決意を見事実現した。いくつもの危機を乗り越えた女王は、国民に愛されつつ永遠(とわ)の旅に出たのである。【黒岩徹・元欧州総局長】
毎日新聞 2022/9/9 03:17(最終更新 9/9 04:56) 1078文字
https://mainichi.jp/articles/20220909/k00/00m/030/015000c