無邪気な「ヘアドネーション」に潜む“罪”。なぜ「いいこと」で終わらせてはいけないのか? | ハフポスト コラム・オピニオン
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2年半ほど伸ばした髪をバッサリ切った。私は悩みながら、「ヘアドネーション」をした。

竹下由佳
2022年10月08日 9時0分 JST

更新 2022年10月08日 JST

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「そうだ、ヘアドネーションしよう」

そう思い立ったのは、新型コロナの感染が広がり始めた2020年春ごろだった。

美容院に行く頻度がだんだんと低くなり、髪を伸ばすのにいいタイミングだと感じたからだ。

「ヘアドネーション」は、病気やけがなどで髪を失った子どもたちに、寄付で集められた本物の髪の毛でつくったウィッグを贈る活動のこと。新聞やテレビなどで「いいこと」としてたびたび報じられ、その存在は知っていた。自分の伸ばした髪が少しでも役に立つなら──と思って伸ばし始めた。

だが、その後、私は「本当にヘアドネーションをすることがいいことなのだろうか」と思い悩むことになった。

それは、2009年に日本で初めてヘアドネーション活動を始めたNPO法人「Japan Hair Donation & Charity(JHD&C、ジャーダック)」の代表理事、渡辺貴一さんのあるインタビュー記事を読んだことがきっかけだった。

2022年5月に配信された記事のタイトルは「ヘアドネーションという罪。『いいこと』がもたらす社会の歪みについて」。つづられていたのは、大多数の人には髪の毛が生えているこの社会で、髪の毛のないマイノリティの人々に対してウィッグを提供することが、「ウィッグが必要だ」「髪の毛があることは素晴らしい」といった”無意識の押し付け”になっているのではないか──と自問する渡辺さんの言葉だった。

髪の提供が、「髪が生えている」マジョリティ側の自分から、「髪がある方がいい」という“無自覚の思い込み”を押し付けることにもしかしたらつながるかもしれない。

もちろん、今ウィッグを求めている人もいる。ウィッグを必要とすることはいけないことなのか──。

悩んでいても髪は伸び、ジャーダックに寄付するのに最低限必要な長さである「31cm」も十分に超えてしまった。悩みながらも、やはりヘアドネーションをしようと決めた。今必要としている人たちに届けばと思ったからだ。

そして、ジャーダックの渡辺さんに、自分が悩んだことをぶつけ、その思いを聞いた。

「ウィッグだけ渡しても結局解決にはならない」

──ヘアドネーションについて調べる中で、私自身が「髪の毛があるマジョリティ」であり、自分の中にある無意識の偏見に気づきました。渡辺さんは2009年から活動をしていますが、こうした「無意識の偏見」は当初から感じていたのでしょうか?

この活動はそもそも、困ってる子どもたちや髪の毛がなくて“かわいそうな”子どもたちのためにスタートしたものではないんです。

僕自身が美容師で、今も美容室を経営しています。髪の毛を切って、髪の毛を捨てることで生計を立ててきました。

大量に捨ててきた髪の毛への「恩返し」のような気持ちで、それをアップサイクルして、価値をつけて、必要な人に渡すということから取り組んでみたらどうだろうかと思いました。

一緒に活動を始めたメンバーと話をする中で、アメリカではすでに取り組みの始まっていた「ヘアドネーション」がいいんじゃないかということになったんです。

だから、社会貢献したいという意識があったわけではないんです。ニューヨークで働いていた経験があったので、チャリティーが自然と行われるような文化に触れたことは大きかったとは思います。

(略)

※省略していますので全文はソース元を参照して下さい。


※関連スレ
【アンコンシャスバイアス】ヘアドネーションという罪。「いいこと」がもたらす社会の歪みについて [ぐれ★]
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