【佐高信「追悼譜」】

 ジョン・ムゥエテ・ムルアカ
 (2023年8月30日没、享年62)

 ◇  ◇  ◇

 急死した鈴木宗男の秘書ムルアカに『ムルアカ・クレッシェンド』(モッツ出版)という本がある。これを手がけた高須基仁はこの本について「かつて優しい眼差しだった彼は、日本での差別体験や、宗男騒動に巻き込まれて、偽造パスポート疑惑までなすりつけられた。そして今はこの狂気に満ちた眼になった。何が彼をそうさせたのか、その答えが本書にある」と書いている。

 それがおよそ20年前のことだから、さらに「狂気に満ちた眼」になっていたのかもしれない。

 もちろん、そうなるには宗男の影響がある。

 宗男は土下座をした人間である。彼がムルアカにもそれをさせたのかは知らないが、土下座をする人間は容易に他人にも土下座をさせる人間である。

 へりくだっているように見えて、人間を軽んじている。土下座をして見せれば、相手は言うことを聞くと、つまりは人間を軽視していなければ土下座はできない。

 私はそんな鈴木に秘書として仕えたムルア力を気の毒に思う。

 鈴木はいま維新にいるが、最初、野党で出た娘の貴子は簡単に鞍替えして、現在、自民党である。政治に理想とか理念を少しでも求めているなら、そんなことができるはずがないのである。

 鈴木は『闇権力の執行人』(講談社)の中で、新党大地を立ち上げたことに触れて、こう言っている。

 「人間は大地の恵みで生かされている。多くの人がこの原理原則を忘れてしまったために、モノ・カネ優先の風潮が蔓延し、故郷に愛情をもてなくなったのではないだろうか。私自身、故郷への愛情をいつも基点に据えて政治活動を行っているつもりだったが、中央政治で権力に近づくなかで、いつのまにか初心から離れていたことに気づいた」

 その時その時で言うことが変わるからそのまま受け取るのもバカらしいが、一度は「気づいた」のである。しかし、寒い北海道を故郷とする宗男にとって「権力」は”外套”のようなものだった。権力から離れて長くなると肌寒くなって、また、それを着たくなってしまうのである。

 秘書としてムルアカはそれをどう見ていたのか? 秘書になってしまったことを悲劇としてあきらめていたのか?

 宗男のことを書いた大下英治著『田中角栄になりそこねた男』(講談社)には、こんな一節がある。

 「秘密文書ではないが、鈴木のコンゴ人私設秘書、ムルアカの旅券を偽造とするコンゴ民主共和国政府からの文書内容を、外務省は (野党議員の)質問を受けたこの日に即日公表した」

 鈴木追い落としのために外務省は手段を選ばず、こんなことまでしたというわけだが、ムルアカの人生は運命にではなく鈴木宗男に振りまわされた人生だった。(文中敬称略)

(佐高信/評論家)


9/11(月) 9:06配信  日刊ゲンダイDIGITAL
https://news.yahoo.co.jp/articles/227e83fe843340523f2e29464eb2ecd7da195479