2024/01/10 10:40

CBC論説THEコラム
東西南北論説風
 
昭和の時代を小学生として過ごした身として「赤チン」は必需品だった。放課後になると、学校の校庭や近所の公園で、毎日のように友だちと遊んだ。そして、転んで擦り傷や切り傷ができた時は「まず赤チン」だった。傷口に赤チンを塗った。



赤チンは米国生まれ

赤チンの正式名称は「マーキュロクロム液」である。20世紀の初めに、米国で作られた消毒薬。それまでの消毒薬は、ヨウ素をアルコールで溶かした「ヨードチンキ」で、独特のこげ茶色をしていた。
「ヨーチン」と呼ばれていた。この「ヨーチン」は、傷口に滲みた。家庭の薬箱に常備されていたが、滲みて痛いため、それに耐えることができる“大人向け”の消毒薬だという印象を、ずっと持っていた。




傷口に滲みない消毒薬

そこに現れたのが「マーキュロクロム液」である。その色が赤かったことから、「ヨーチン」と対比させて「赤チン」と呼ばれるようになった。傷口に滲みたヨーチンと違って、赤チンは滲みなかった。
“傷口に滲みない消毒薬”の登場だった。このため、赤チンは“手軽な消毒薬”として日本全国の学校や家庭に広がっていった。1960年代(昭和30年代後半から40年代)、全国でおよそ100社が、赤チンを製造していたそうだ。



赤チンを塗った子どもたち
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