千島列島の遺跡から炭化物を取り出してその年代を測定すると
7000年前から人が住んでいた形跡が存在している
火山活動の活発化により2度、誰も住んでいない時期があるが
千島列島にはアイヌが住む前にわずかながら人が住んでいた。

オホーツク海の冬は流氷で海が凍るので歩いて渡ることが可能である
古代の人達は氷上に居る獣を追いかけて移動しながら千島に住んでいた
勿論、一気にカムチャツカから北海道に南下したとは思えないが
驚くほど長い期間を掛けて南下した可能性も否定できない。

年代が上がりオホーツク文化人の航海技術が向上すると、
その様なことをしなくても島の間を移動することは可能であるが
航海技術が未熟な頃でも冬季に歩いて国後、択捉辺りまで
移動していた可能性はゼロではない


知里真志保の「カムチャツカ半島ルーツ説」というのは
「言語と文化史――アイヌ文化の探究にあたりて――」
って文章に書かれてるものだと思うのだが抜粋すると

「カムチャッカ方面から来た」ことを「主として言語研究の立場から私は説いてみた」
という仮説を唱えているような軽いコラム的な文章なので青筋立てて言い争う内容ではない。

少なくともカムチャツカに住んでいた人のことを示している訳でもない。


自分もオホーツク文化人は樺太から来たニブフの説が濃厚だと思っているが、
カムチャツカ方面から南下してきた人が混じっている可能性もゼロだとは思わない。
DNA調査によるとイテリメン・コリャーク等の遺伝子も混じっているデータも出てるので
単純にニヴフ=オホーツク文化人という構造ではないのだろうと想像できる
つまり知里真志保の「カムチャツカ半島ルーツ説」は部分的には合っているともいえる。


近年ではアイヌ文化の担い手である縄文人、擦文人もアイヌであると唱える人も増えているようだが
エスニックグループの定義では長期間普遍的な文化を保っている事が前提であり
2000年も経っていない間に何度も文化的特徴が変化しているものが民族といえるのか?
という点が議論が分かれるところで、ここのスレで言い争ってもほとんど意味は無い。