熊本県職員の親子関係不存在確認の訴によるDNAと血液精密親子鑑定の結果、
親子関係が否定され喜んだのは、今考えれば原告元県職員だけカモ知れない。
周りの人々はもちろん、原告側弁護士でさえ皆ガッカリしたようです。
というのは、過去に次のような職場体験があるのです。
平成2年4月から2年間、原告職員は、熊本市内の土木事務所用地課に配属された。
その直属上司は、昔ながらの典型的封建的な人柄で、厳しく怒鳴りながら指導するタイプだった。
デモ、その原告はのんびりした性格で、いくらやかましく指導されても行動しないタイプだった。
平成3年5月、その原告は、上司から怒られたのを逆恨みして、
ナント5月上旬ストライキのつもりでサボった。
(年次有給休暇で対処したがら欠勤にはならなかった)
結局、原告は、その上司を逆恨みして、上司からイジメ・パワハラ受けたと、
職員労働組合に相談した。
その後、相談した先の県職員労働組合を初め、土木事務所の幹部によって、
原告が職場復帰するなど、一応解決したものの、
その後も、その上司とのトラブルが収まらず、とうとう双方とも異動させることとなった。
喧嘩両成敗にて、双方とも出世コースから外れ、原告は田舎に左遷閑職はもちろん、
一方その上司は当時30歳代後半で参事だったが、最高位が出先の徴収係長止まりで、
とうとう課長補佐級(出先の主幹以上)以上に昇格することなかった。

そのような経緯があるだけに、平成4年になって結婚式を挙げることになった時、
シカもその秋出産予定となった時、周りの県職員は皆喜んだ。
「結婚して家庭を持てば、彼は改心して頑張って働くことになるハズ、本当に良かった!」
だからこそ、原告職員の結婚式披露宴には、熊本県職員だけでも、60名近く参列しました。

それだけに、熊本県庁以下原告直属の職場や県職労としては、
何とかこの原告職員に立ち直って改心して頑張って働いて欲しかっただけに大落胆。

事実上原告職員としては、県庁以下周りの人々が、この原告職員に対して見切りをつけ、
将来の出世コースから外され、
その後転落の人生を歩むことになるとは、気づかなかった。