0001きつねうどん ★
2021/11/07(日) 20:26:16.70ID:CAP_USER※本稿は、ひろゆき『誰も教えてくれない 日本の不都合な現実』(きずな出版)の一部を再編集したものです。
日本の道徳教育を真に受ける人
日本の学校では、道徳教育で「人のよろこぶことをしなさい」とか「人には親切にしなさい」とか「人を怒らせてはいけません」などと教えたりします。はたしてそれは適切なのでしょうか?
というのも、現実の世の中では「悪い人」がいます。学校だって、クラスメートに暴力で脅(おど)されて、お金をせびられ続ける子どもがいる。そのような人たちの存在を無視している道徳教育は、適切な教えをしているとはとても思えません。
「人のよろこぶことをしなさい」や「人を怒らせてはいけません」は、世の中に「いい人」しか存在しないことを前提にしています。たとえば「お金盗んでこいよ」と命令してくる人を前にして、「人を怒らせてはいけません」は必要でしょうか。
本当にいい人は、こうした綺麗事を真に受けやすく、相手を怒らせてはならないと犯罪行為に手を染めてしまうケースもあります。
ですので、道徳の授業でも「悪い人」が存在することを前提にすべきです。つまり、「悪い人には冷たくあたりなさい」といったことも教え、それに加えて、相手が「いい人」であるなら「人のよろこぶことをしなさい」と教えるべきなのです。
「人には親切にしなさい」や「人を怒らせてはいけません」も、世の中全般にいえる道理ではなく、「いい人」が相手の場合などに限定しなければならないはずです。
そうでないと、道徳の授業など、教室のなかではよくても、現実の世の中ではなんの役にも立ちません。綺麗事のみで成り立っていて、「悪い人」の存在を考えていないことは、日本の道徳教育の大きな欠陥だと思います。
学校の勉強にばかりのめりこむ人
これは前著『ラクしてうまくいく生き方』(きずな出版)でも書きましたが、大学は卒業しておいたほうがいいです。結局、企業は学歴というか、偏差値で学生を判断するからです。だから、勉強が苦ではないのであれば、まじめに勉強したほうがいいです。
ひろゆき『誰も教えてくれない 日本の不都合な現実』(きずな出版)
でも、偏差値が高いことと、仕事で成果を出せるかどうかはまったくの別問題です。とくに今後、AI(人工知能)やロボティクス化がさまざまな場面で進むと、偏差値が高くて勉強しかできない人の価値はどんどん下がっていくでしょう。
そもそもの話ですが、AI化が進んでいない現在ですら、じつは学校の勉強はほとんど役には立ちません。
知識を詰めこむよりも、いかに必要な情報をすばやくインターネットで検索して探し出せるかという力のほうが有意義ですよね(もちろん、コツコツ勉強を続ける勤勉さとか、読解力とか、論理的思考能力など、学校の勉強で身につけられる力もありますが)。
あと大事になるのは、きちんと自分の考えを伝える意味でのコミュニケーション能力、そして度胸でしょう。外国で言葉の通じない人たちとすぐに仲よくなれる人がたまにいますが、そのような能力ですね。