「武蔵」の蔵を「さし」と読むのはなぜ? [きつねうどん★]
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漢字の特徴の一つが、「読み方がたくさんある」ことです。そのためか、一見不自然な読み方や、強引な読み方をする言葉もたくさんあります。なぜそのような読み方になったのでしょうか? 言葉のうんちくを紹介します(朝日新聞出版『みんなの漢字』から)。
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■憧憬(しょうけい)
誤った読みが定着し辞書にものっている
「憧」の本来の音読みは「しょう」です。古い時代の中国語の発音が日本語風に変化したものである音読みの原則にのっとった読みです。しかし、「どうけい」という読みも辞書にはのっています。「憧」を「どう」と読むのは、つくりの「童」を「どう」と読むことにつられた読み間違いです。このように、読み間違いから定着した音や読みやすさを重視してつけられた本来とは異なる読みを「慣用音」といいます。「消耗(しょうこう)」を「しょうもう」と読んだり、「貼付(ちょうふ)」を「てんぷ」と読んだりするのも同じです。
■表(あらわ)す
「表わす」でも間違いではない
「表」の訓読みは、「あらわす」ですが、「表す」とも「表わす」とも表記されます。文部科学省がよりどころとして示している「送り仮名の付け方」でも、「表す」を基本としながら「表わす」も許容するとしています。どちらか一方でよさそうですが、例えば「敬意を表す」という場合に「あらわす」なのか「ひょうす」なのかわかりません。そんなときに「表わす」としておけば読み間違えることはないでしょう。同様に、「行った」は「おこなった」とも「いった」とも読めるので「行なった」とすることもあります。読み間違えないようにするということが大事なのです。
■三位一体(さんみいったい)
「三位」を「さんみ」と読むのはなぜか
「三位」は、順位を表すときなどには「さんい」と読みますが、四字熟語の「三位一体」では「さんみ」と読みます。もともと、「三」は「さむ」という読みで、「さむい」と読むところを「むい」の部分が変化して「さんみ」と読まれるようになりました。このような前後の音が結びつく変化を「連声(れんじょう)」といいます。「因縁(いんねん)」や「雪隠(せっちん)」なども同様です。「さんい」とも読むのは、のちに「三」が「さん」と読まれるようになり、音変化がなくなったためです。
■日本
「にっぽん」か「にほん」か正式な決まりはない
1946(昭和21)年に「日本国憲法」が公布され、国号は「日本国」となりましたが、「にっぽんこく」か「にほんこく」かは明示されていません。その後も、時おり議論が起きましたが統一されることはありませんでした。2009(平成21)年には麻生内閣が、「いずれも広く通用しており、どちらか一方に統一する必要はない」という見解を示しています。
■谷(たに)
「や」と読むのは音読みか訓読みか
東日本の古い方言で、土地が低くてじめじめしている場所を「やつ」や「やち」といいました。谷の地形に似ているので、「やつ」「やち」を表すのに「谷」の字が用いられ、読みが「や」に変化したと考えられています。つまり、「谷」を「や」と読むのは日本語に基づくので訓読みです。ちなみに、元が東日本の方言なので、西日本ではあまり見られません。
■心配
訓読みしていた言葉を音読みした和製漢語
「読書」や「禁酒」など、音読みする熟語の多くは、漢語に由来します。しかし、日本でつくられた熟語もあり、それらを和製漢語といいます。例えば、「心配り」という言葉を音読みした「心配」や、「大根(おおね)」を音読みした「大根(だいこん)」などがそうです。江戸後期や明治期には、「神経」や「哲学」など流入した西洋文明を表すための和製漢語も数多くつくられました。 ■手本
訓読みと音読みをまぜた熟語の読みがある
日本語は、和語、漢語、外来語に分類され、このうちのいずれかを組み合わせた語を「混種語」といいます。「手本」は、筆跡を表す和語の「手(て)」と、ものごとの規範という意味で漢語の「本(ほん)」からなる混種語なので、訓読みと音読みの組み合わせになっているのです。このような訓読み、音読みの順の読み方を「湯桶(ゆとう)読み」といいます。また、王を表す漢語の「王(おう)」と、手段を表す和語の「手(て)」からなる「王手」は、音読み、訓読みの順で読む混種語で、「重箱(じゅうばこ)読み」といいます。
■炒飯(チャーハン)
音読みではなく現代中国語からの外来語
「炒」の音読みは「そう」や「しょう」なので、「炒飯」を音読みしても「チャーハン」にはなりません。「チャーハン」は、「炒飯」の現代中国語での読みの「チャオファン」が変化した言葉で、外来語という位置づけです。「ギョーザ」も同様ですが、「餃子」の一般的な中国語読みの「ジャオズ」とは大きく異なります。これは、「ギョーザ」が中国の山東省あたりの方言が元になっているためだといわれています。
■倫敦(ろんどん)
正式な漢字表記は決まっていない
「ロンドン」の漢字表記は、「倫敦」以外にも「竜動」や「倫動」、「論頓」「蘭敦」「英京」などが用いられました。その中で定着したのが「倫敦」だったのです。パリも、「巴里」が一般的ですが、「巴黎」「巴利」「巴里斯」「波礼斯」なども用いられたといいます。
■武蔵(むさし)
「蔵」を「さし」と読むのはなぜか
東京都、埼玉県、神奈川県の一部を、かつて武蔵国といいましたが、古くは牟佐志などの字が用いられていました。8世紀に朝廷から、地名は縁起のいい漢字二文字で表すことが求められ、強そうなイメージの「武」と、「ざう」や「さう」と読まれ、いいものが収められていることを連想させる「蔵」を当て、半ば強引に「むさし」と読ませることになったのだといいます。大阪南部の「和泉」は、「泉」の一文字で「いずみ」と読めましたが、二文字にするために「和」が加えられたといわれています。
監修/久保裕之(立命館大学白川静記念東洋文字文化研究所)
文/美和企画
※『みんなの漢字』2019年3月号から
https://dot.asahi.com/dot/2021122300092.html 朝日の説く日本の歴史文化論は怪しくて疑ってかかったほうが良い
朝鮮寄りにすり替えられている可能性があるから 飛鳥がわからん
わからないふりをしないといけないのか日本の闇 もともと、今の神奈川、東京、埼玉のあたりをひとまとめに「むさ」と呼んでいた。
んで、神奈川あたりを「むさがみ」
東京、埼玉あたりを「むさしも」と呼ぶようになった。
(上、下に分けたわけね。)
そうすると、むさがみ → さがみ(相模) となり、
むさしも → むさし(武蔵) となったのだ。 群馬、栃木のあたりは、ひとまとめに「けぬ(毛野)」と呼んでいた。
で、これを上下にわけて、
群馬のあたりは、「かみつけぬ(上毛野)」、
栃木のあたりは、「しもつけぬ(下毛野)」と呼ぶようになった。
時代はくだって、いつしか「毛」を書かなくなって、
「上野」を、かみつけぬ → かみつけ →こうずけ となり、
「下野」を、しもつけぬ → しもつけ となった。
なので、小山と新前橋を結ぶJR両毛線は、「毛」の字が入ってるのは、そういうわけです。 >>3
その辺りに元々ヤマトという連合勢力があり、倭と書かれていたが、
偉大さを表すために大が付けられ、律令国家の成立とともに
かつての大倭の本拠地が大倭国となった。
後に倭の字を和に変えて大和国となった つまり、デタラメばっかりだってことだろ
そんなこと言われなくてもわかってるよ
ちゃんとルビ振れ
昔の人は全部にルビ振ってたぞ >>5
説明が下手なんだと思う
言葉の細かい意味までは合わせて書ける人ほとんどいない。
話しは通るんだけど、言葉の選択がぐちゃぐちゃなときもある
日本人の文章は、言葉の具体的な意味がつながらないが、話しの内容はつながる
本によっては結論を書いていない場合もあるくらい
「こういう話をします」といって読んでいると
「こういう」部分が結局出てこないまま読み終わるとかたまにある
>>1の場合、強引と書いているが、別に強引ではない。
ちゃんと理由があるので それでも強引と書くのは、書かなくていいことがわかっていない
強引という言葉が当てはまるかも気づいていない
日本人の文章は全部書かないと理解できないが、
短くないと扱えないというジレンマがある
プラス、読者への感情への忖度がずっとあって、いらん言葉が多い だいたい3分の1以上は読者への気遣いの言葉
最大で8割が読者への気遣いだろうか
いらんし ://chiicomi.com/press/1669027/ 現在、洗浄(せんじょう)という言葉は普通に使われているが全然にはなかった。同じ意味で洗滌(せんでき)という言葉があったが多数の人は字形から「せんじょう」と誤読していた。戦後、当用漢字が制定され滌の字が外れ洗滌は「洗でき」と書くことになったが誤読していた人はなんのことやら分からない。だから、洗滌と同じ意味を表す「洗浄」を作った。 だから、もともとデタラメなんだから
正しいもクソもないだろ
ホワイジャパニーズピーポー >>3
小学校低学年くらいでIQ130くらいあれば12程度の解釈は自力でたどり着くやろ? >>9
かみ・しもが後ろに付く地名って他にあるの?
なかったら信憑性が低い 上野下野
西日本は
備前備中ビンゴ
筑前筑後
豊前豊後
の前後が多い印象 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています