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バイクや自然への思いを語る三好礼子さん

 世界一過酷なレースともいわれる「パリ・ダカールラリー」(パリダカ)に参戦し、二輪の女性クラスで優勝するなど、女性のモータースポーツの先駆者である三好礼子さん。オートバイツーリングやトレイルラン、農業やカフェ経営などを通じた自然生活の実践にも力を注ぐ。人生を満喫するエネルギッシュな三好さんと、杉山涼子岐阜新聞社社主・代表取締役が対談し、コロナ禍でも明るく前向きに生きるヒントを探った。

◆二輪はシンプル人間に近い

 杉山 バイクに乗ろうと思ったきっかけは。

 三好 高校生の時、乗せてもらう機会があったのがバイクとの出合いです。「この乗り物があればどこにでも行ける」と思い、すぐに免許を取りました。

 杉山 二輪の良さ、魅力とは。

 三好 馬に乗るように風を受けて走る気持ちよさ。あと、自分でコントロールして進み続けていないと倒れてしまう。シンプルで“人間に近い”ことも理由です。

 杉山 若い時にバイクで日本一周をされました。

 三好 高校卒業後、新聞原稿をバイクで輸送する仕事をしていましたが、「女は駄目だ」と会社をクビになりました。でもめげない。お金はないが時間とバイクはある、世界一周は無理だけど日本一周なら行ける、と。バイク雑誌「ミスター・バイク」の提案もあって、旅行記を連載しました。ジャーナリストになるのも夢だったんです!

 杉山 バイクに女の子が乗っているだけでも珍しい時代。大変でしたか。

 三好 全然! 悪いことがないわけではなかったけれど、それを上回るいいことがたくさんありました。



◆「パリダカ」参戦止まり放題

 杉山 国際ラリーでのご活躍について聞かせてください。

 三好 最初は29歳でエジプトの「ファラオラリー」に、二輪で出場しました。手塚治虫先生の「ジャングル大帝」のイメージがあった「あのアフリカ」に行けることがまずうれしかった。

 1991年、2回目の「パリダカ」で、砂嵐の中で助けを求めてきた選手をやり過ごしてしまったことがありました。そのことを5年間悩みました。本当にやりたかったことは何だろうと考えたら、困っている人を助けたかったんだと。その次、大会に出た時は“止まりたい放題”にしました。トラブルで止まっている選手を見つけたら「大丈夫?」って声を掛けて。逆に「いいから行きなさい!」って言われるくらい。何十回も止まりました。ところがゴール直前、自分が大転倒したんです。負傷してテントで寝ていたら、私が声を掛けた選手みんなが心配して来てくれた。レースであってレースじゃないんだと実感しました。

 杉山 山道を走破するトレイルランもなさっていますね。

 三好 国内外の大会に年間30回出た年もありました。いつもやり過ぎてしまって。

 杉山 ごみ拾い活動も相当すごいと聞きます。三好さんの周囲からごみがなくなってしまうとか。

 三好 富士山麓を一周する「UTMF(ウルトラトレイル・マウントフジ)」の実行委員だった時、全160キロのコースのうち3分の1、50キロが自分の担当で、結構汚れていました。歩きながらコースのごみを全部拾いました。1年で軽トラック数十台分。みんながびっくりするほどとことんやるのですが、ごみ拾いは大好きなんです。



◆混とん受け入れ生まれ変わる

 杉山 いろんなことを楽しんでいるのが伝わってきます。自然あふれる生活を目指して、ここ、長野県松本市に移住されたのですか。

 三好 今は飼っていないのですが、ヤギを放牧してヤギチーズを作るために移りました。家やカフェを開ける建物が偶然見つかって。アルプスの山並みが見えて、東山道と善光寺街道が近くにあって、いい場所です。